投げるときにはなるべく上から

気づけば、肩が痛いです。

何もしていなくても痛い。

そして、常に痛いわけではなく、何ともなかったり、痛みが和らいだりすることもあります。

つまり波があるってことです。

 

最近、土日に息子を抱きかかえている疲労が週明けに痛みとなって現れることがあります。

妻はその日の夜から痛くなるようですが。

 

そう、疲労の原因は、4歳になってもまだ抱っこをせがむ息子にあると思われます。

特に私の場合は肩車をせがまれることが多く、そういえば、週末は何度か肩車をしました。

 

私はあまり肩車が好きではありません。

後で肩が痛くなる、のはその場では思い出しませんし、肩車自体は抱っこしているよりよっぽど楽なのでその意味では身体的に辛いわけではありません。

私が肩車を好きではない理由は、一つには息子の表情が見えないからです。

だからつまらない。

息子もせがむくらいですから楽しいのでしょうし、横から見ている妻も息子がにこにこしている様子を伝えてくれます

それが自分には見えない。

そしてもう一つは、肩車された息子の行動がひどいのです。

 

昔、上から唾を垂らされたことがあります。

さすがに何度か怒られて最近ではしなくなりましたが。

代わりに、帽子をかぶっていると、まず例外なく、取り上げて放り投げます。

ついでに、頭を撫でてくれているようなのですが、力加減がおかしいので、髪の毛が絡まって痛いのです。

 

この、モノを投げる、というのは他の場面でもよくするのですが、何度話しても直りません。

おもちゃを渡すとき、読んでほしい絵本を渡すとき、手渡すことができないのです。

 

放り投げたものは、自分で取らせ、もう一度手渡しさせて、それを褒める、の繰り返しです。

良く考えてみると、水筒なんかはちゃんと渡せるんですよね。

投げるものと渡すもの、どこに違いがあるのだかさっぱりわかりません。

 

なお、週末は、展望台にはさっさと飽きることが分かりました。

まあ、外の景色を見ても別に楽しくない、のは私も同感なのでいいのですが。

ついでに、大道芸は意外なことに楽しくみられることが分かりました。

以前は人ごみに近づく、だけで嫌がっていたのに、ずいぶんと変わったものだと思います。

 

いつか、人にものを渡すときにはほうり投げるのではなく、手渡しできるようになるのでしょう。

私はそんないつかが楽しみで仕方ありません。