キドアイラク
人間だれしも、褒められるとうれしいものです。
だから、他人のいいところを見つけてほめよう、
やめよう、となるわけです。
子育てでも、ほめて伸ばす、
ところで、褒めよう!はいいのですが、
という問題があります。
偉いよね、良くできたね、と褒められて、
ありがとうと言うべきなのでしょうか。
うれしさを前面に出して、やったーっと叫ぶべきなのでしょうか。
うれしさを隠して、
息子は、親のやっていることに参加したがる性格です。
料理していれば台所にやってきますし、洗濯物を干して(
ダに出てきます。
料理は刃物や火など危ないものがたくさんありますし、
なく落とすので)汚れてしまいます。
なので、気持ちは嬉しいけど、手は出さないで、とお願いされて、
ねったり、ベランダでは水鉄砲を撃ったり、
息子としては、これは遊んでいるのではなく、
ていることになります。
そのため、ベランダで水鉄砲を撃ちながら、
掛けるとそれだけで綺麗になって掃除になるんだよ、
料理や洗濯と比べて、参加しやすいのが掃除です。
わたしは週末のどちらか一日、家じゅうのほこり取りをやって、
すが、これに参加したがります。
ほこり取りをしていれば、
けです。
もちろん、貸してやると掃除が進まないので、
渡してあげています。
息子はそれを持って、壁やテレビなどを撫でているのです。
時々、ここ届くー?と聞かれ、
すが、届くかもしれないけど、
と返しています。
最近は、狭い隙間に身体を半身で押し込んで、ここ届くー?
これだと、そこは身体が大きなパパには無理だなー、ありがとう、
ります。
ありがとう、と言われた息子は、微笑むでもなく、
よね。
それでいいのかな、と思うのですが、どうしたらいいのか、
一方で、悲しさの表現は豊かで、大きくは2種類あります。
一つ目は、しくしく泣く、ってことです。
ミニストップで息子がアイスを買って、
す。
ソフトクリームが出来上がるのを待つ間、
戻ってみると息子が泣いていました、しくしくと。
で、事情を聞くと、前のお客さんのアイスが出てきたときに、
と思って手を伸ばし、
それを妻に怒られて泣いていた、と。
もう一つは、泣き叫ぶ、ってことです。
車でお出かけした帰り、
小一時間ほどでしょうか、家の駐車場に着いて、
何を言っても泣き止まず、通行する人たちには不信な目で見られ、
あったことですが、最近は珍しいなあと思いました。
喜怒哀楽を押し殺すのが発達、なのかもしれませんし、
しれません。
もちろん、悲しいことなんてないに越したことはないのですが、
とはしょうがない。
私たち両親の前だけでも、存分に感情を爆博させてくれるなんて、
思うようにしたいです。