ふわふわドームでの急変

息子の趣味趣向というのか、好みというのか、それは結構くるくると変わります。

食べ物についていえば、少し前まで餃子が大好きだったのですが、今はほとんど食べません。

先日、餃子を作ろうよ、というので、材料を買ってきて作ったのですが、家族で作ることが楽しかっただけのようで、ほとんど口にはしませんでした。

代わりに、ハンバーグが好きになりました。

息子とは関係ないのですが、私、今まで、どうしても自分で作ったハンバーグが美味しいとは思えず、加えて、外食で食べるハンバーグもそれほど好きではなかったのですが、先日、自分で作ったハンバーグは「自分で作ったボーナス」を差し引いても大変おいしかったです。

 

そんな好みの移り変わりの一つに、動物に触れるか、というのもあります。

週末に乗馬体験や、ミニホースに触れる体験があったのですが、まったく楽しめず、どころか怖がって近づこうともしませんでした。

一時期、動物との触れ合いが楽しくて仕方がなかったこともあるのですが。

まあ、無理することもなく、触りたいときに触ってくれればいいのかな、と思っています。

 

さて、その時、敷地内に、ふわふわドームが置いてありました。

ふわふわドームとは何ぞやを説明するのは、私には荷が重いのですが、空気で膨らませて、中で子供が跳ねて遊べるアレですよ、アレ、で済ませたいと思います。

息子、これまでにふわふわドームを見たことは何回もあります。そのたびに、やってみる?と聞くのですが、一切の興味を示してきませんでした。

理由はいくつか思いつくのですが、一番の理由は、あの中には子供しか入れないから、だと思います。

親から離れて、一人で遊ぶのが怖いのです。

 

ところが、先日、別の場所でふわふわドームを見て、あれがやりたい、と言い出したのです。

やりたいと言うものを止める理由もないですし、息子が新しい一歩を踏み出すことを応援してあげたいですし、もろ手を挙げて賛成したのですが、ただ、その時はどうしても時間が取れず、次回持越しとなりました。

今回、ふわふわドームを見て、あの時の意欲はどうなったのかな、と思ったのですが、まったく衰えていないようで、やりたいやりたいと、言います。

 

並んでいる子供も少なく、よその子と合わせて3人で入りました。

入ってしばらくは、楽しそうにしていました。

窓のようなものがあり、外から手を振ると、手を振りかえしてきたりして、楽しそうに跳ね回っていたのです。

ところがしばらくすると、顔色がはっきりわかるくらい青白くなり、必死に涙をこらえている様子です。

本人が楽しいと言うのでやらせているだけですから、嫌だったらいつ出てもいいんだよ、と伝え、途中からは、早く出てきて!と叫ぶように伝えました。

 

途中で何が嫌になってしまったのだか、は分かりません。

本人は、寒かったと言っていましたが、どちらかというと、暑かったはずで、急に息苦しくなったのかもしれません。

しばらく抱っこしていると落ち着いてきたようで、また別の遊具で遊び始めたのですが。

 

今回は怖い体験になってしまいましたが、次回、ふわふわドームを見たときに、またチャレンジしたいと言うのかな、それとも全力で拒否するのかな。

そもそも、今回は息子なりに頑張ってチャレンジした結果だったのかな。

なんてことを息子の満足そうな寝顔を見ながら思いました。

【連休初日】発達支援教室の見学(出口)

連休に行った、発達支援教室見学の感想の続きです。

 

朝の課題が終わると、全員で、広い教室へ移動します。

同じクラスの子供たち全員、だけではなく、別のクラスの子供たちも含めて全員です。

広いと言うのは、テニスコートくらいでしょうか。

そこで、跳び箱と跳び箱を柱でつないだ遊具とか、トランポリンとかそんなものが置いてありまして、身体を動かして遊ぶようになっています。

何をするかは決まっておらず、それぞれが好きなことをして自由に遊ぶ時間です。

息子は、すみっこで先生と飛び跳ねていた時間もありましたが、多くは、大き目(息子の腕くらいの大きさ)のブロックを積み上げて遊んでいました。たまにお友達に崩されたりしながら。

 

ここ、ひろば、と呼ばれているのですが、最初は広場に移動するのをとても嫌がったようです。

恐らくは多くの人が集まる場所、というのが嫌だったのだと思います。

最近では、中洲に移動できるようになった、と聞いていたのですが。

確かに泣かずに移動しています、でも楽しそうかと言うと、そんなこともなく、無表情、でした。

 

私、今回の見学の中で、一番ぐっと来たのが、息子の子の顔を見たときです。

嫌そう、悲しそうな顔は土日に何度も見ています。

それはそれで、かわいそうに思うことが多々あります。

でも、無表情、何かを諦めたかのような無表情は初めて見ました。

そして、本当にかわいそうだと思いました。

 

自由遊びの時間の次は、全員で体操、というかダンスをします。

前後しますが、教室では、一つの行事が終わり、次に移る際に、モモを両手でたたいて、おーしーまい、と全員でいうようにしています。

息子は声を出しているのかどうかは分かりませんが、モモを叩く素振りは見せていました。

言われれば、そういう動きに見えなくもない、という程度。

ダンスも同様で、参加していないわけではないのですが、手足を多少動かし、全体と合わせて輪になったりという移動はしていました。

 

これは良い意味でびっくりすることで、今まで歌に合わせた手遊びなんかには一切参加していなかったので、それだけ動けるだけでも成長を実感しました。

表情は無表情のままなんですけどね、こちらは諦めていると言うよりは、どう動いていいのか分からず困惑しているようでした。

 

体操の後は朝の教室へと戻り、工作したり、近くの公園や児童館に遊びに行ったりします。

そのため、連絡、体操の後は一度、家に戻っていました。

 

息子はその後、お昼ご飯(お弁当)を食べて解散になります。

そのため、その時間に改めて迎えに行きました。

いつもは、教室の前にある遊び場の砂場で遊んで帰ることが多いようですが、父親がいるせいか、また連休中、息子の体調があまり良くなかったせいか、家に帰って遊びたい、というのでまっすぐ帰りました。

一日、妻なしで、私だけでお迎えに行ったこともあります。

事前に、言い含めてあったこと、帰りは息子の自転車を持って行ってそれに乗って帰ってくることを約束し、楽しみにしていたことから、嫌がることもなく、帰ってくることができました。

【連休初日】発達支援教室の見学(入口)

長々と書いた文章を間違えて消してしまい、うんざりしています。

 

さて、少し前ですが、長期休暇(一週間)を取得しました。

元々、年度内に一度、一週間連続して休まなければならない、という社内ルールがあるのですが、これまで取りそびれていまして、このタイミングになったのです。

 

今回、休暇中にスキー場に行く予定を立てました。

一日、発達支援教室を休み、土曜日に返ってくるプランです。

そして、連休中に息子の誕生日が含まれていたのですが、こちらは平日ではあるものの、教室がお休みの日にたまたま重なることになりました。

その他の日は、送り迎えに参加したり、教室での様子の見学をしました。

 

こんなにまとめて息子の日常と触れ合う機会は中々なく、とても楽しかったですし、あっという間でした。

いろいろと思うところもあり、日記調にまとめておきたいと思っています。

如何せん分量が多いので、何回かに分けて書きます。

 

連休の初日は発達支援教室の見学に行きました。

朝は妻と一緒に自転車で教室へ息子を送り届けます。

そして、その後、教室の裏側に回ると、そこからマジックミラーで教室内を見学することができるようになっています。

 

教室では到着した子供が、鞄を指定の場所に置いたり、靴下を脱いだり、といった準備を自分で行います。

もちろん、ぐずっていると先生が促してくれたり、手伝ってくれたりしてくれます。

準備が終わると、各自の課題に取り組みます。

課題はパズルや、四角形を塗りつぶす、などなど。

各自、課題が終わると、先生に絵本を読んでもらって他の子が終わるのを待つことになります。

 

この準備なのですが、教室内の衝立の向こう側が行われているため、頭は見えるものの、何をしているのかはよく見えません。

そして、息子は準備にやたらと時間がかかるのです。

途中で何度もふらふらと歩いているのを見ているのですが、やることが分からないわけではなさそうです。

靴下を脱いだりを嫌がっている様子もないので、本当に何をしているのか謎です。

 

息子は準備さえ終わらせれば、その後の課題は比較的スムーズに終らせていました。

課題が終わると、絵本を選んでから、教室の壁際にある一列のベンチに並んで腰掛け、順番に読んでもらいます。

ベンチにはちょこんと、まあお行儀よく座って順番を待っていて偉いなーと思いました。

自分の本を読んでもらった後、自分の本を選んでいる他の子とぶつかってもお構いなく次の本を選びに行くのは強引だと思いましたが。

 

この連休後に発達支援教室の先生との個別面談があり、妻が参加してその際のメモを見せてもらったのですが、息子は椅子に座ることがまだうまくできないそうです。

椅子に座っているとずり落ちてしまうのですね。

ちょうど、コントやひな壇などで、芸人さんが椅子から滑り落ちるような感じです。もちろん、息子はわざとやっているわけではないのですが。

 

そんなこともあって、教室では特別待遇、ではないですが、ひじ掛け付の椅子に座っています。

これだと、囲われていて身動きが取れないので落ちない、ということです。

将来、社会人になると、会社によっては偉くならないとひじ掛けなんて付けてもらえないんだぞ、とは思います。

 

ということだったのですが、たまたま見学に行った初日は息子が肘掛の無い椅子に座っていました。

どうも、先生が出し忘れたようです。

私は、過度に気を回されすぎていなくて、大ざっぱに見てもらえている点をいいことだと思いましたが、人によっては違う感想になるのかもしれません。

まあ、その椅子に課題の最中はずっと座っていられましたしね。

 

長いので一旦切ります(電話みたいだ)。

続きます。

自転車と放言

息子の誕生日は三月なのですが、ちょっと早い誕生日プレゼントを妻の両親に買ってもらったので、受け取りに行ってきました。

モノは自転車です。

購入前に息子の意見を聞き、一度妻の実家に納品された自転車を試し乗りし、今回、自宅に引き取ることになった、という経緯です。

 

最近はやりのストライダーには全く興味を示しませんが、自転車は近くの公園で貸し出しているのを良く借りています。

ペダルの漕げないときから好きで、何度教えてもペダルが漕げるようにならなかったので、中腰で自転車を押し続ける苦行を続けていたのですが、ある日突然、漕げるようになりました。

一度コツをつかんでしまうと速いのだとずいぶん感心したものです

 

たまに行く公園の自転車でも満足していたのですが、これを聞いた妻の実家が買ってあげようか、と提案して、息子は手放しで喜んだ、のは1月の末。

親戚の不幸などが重なり、時間がかかりましたが、無事に納品されたので、何よりでした。

 

息子は大好きな祖父と遊び、クッキーをごちそうになり、詰め合わせの箱の中から好きなのを取っていいよ、というと、一人二つまでね!と仕切りはじめ、盛大に粉をまき散らしながら食べておりました。

近くに止めてあった車まで自転車をこぎ、昼寝してから、近くのショッピングモールまで自転車で行きました。

 

車通りの少ない道を選んだものの、息子の自転車と両親(私たち)の徒歩で30分ほどのショッピングモールまでは、大冒険でした。

車ももちろんなのですが、自転車との接触を避けるために細心の注意を払う必要があるのです

当面は、誰も来ない場所、もしくは大人が二人いる場合(自転車の前後を挟めるため)でないと自転車は無理だなあと思い知りました。

 

妻の実家で、息子が祖父と遊び、妻がその様子を見に行った際、祖母と二人きりになって少し話したのですが、祖母としてはママ(祖母の娘)が少し息子に構いすぎなのではないか、と思っているようです。

もちろん、愛情を注いでいる、ということでもあり、悪いことだと断定しているわけではないのですが、ママと離れられない原因として見ているようです。

 

ただ、その際、子育てなんて結果論でしか語れないから、長い目で見ないといいのか悪いのかなんて判断できないんだけどね、と言っていたのが印象的でした。

この言葉もその通りですし、子育ては毎日・たくさんの子供とのやり取りの中でなされていくもので、厳しいとかなんだとか傾向はあるものの、それぞれの行為を一つ一つ検証するなんて不可能です。

自分の中でバランスを取りながら、自問自答しながら、いつか出る結果に怯えて過ごすものなのだと改めて思いました。

 

その息子君、買い物に行った際、通りかかったドコモショップの前に開店を待つ女性がいたのですが、大声で、間違いなく本人にも伝わっている声量で、あの人はあそこで何しているのー?とおっしゃりました。

寒い朝から開店を待っている人に聞かせるセリフとしてはふさわしくなく、無邪気なのも時と場合を選んでほしい、と赤面しながら思いました。

過敏に気づいて耳を澄ます

週末にボーリング場に行ってきました。

ゲームセンターもあり、カラオケもあり、スポーツできる場所(バッティングセンターとか)まで併設されている大きな施設です。

 

なんでそんなところに行ったのか、ですが、息子がボーリングをしてみたい!と言い出したからです。

しまじろうの動画かなんかに出てきたみたいで。

 

行く前から懸念はしていた、というか多分ダメだろうと思っていたのですが、やっぱりダメでした。

ボーリングをするとか、そんなことではなく、ボーリング場の入口から先に入れないのです。

問題は大音量。

 

息子が嫌がることは、大きく三つあります。

一つは、音が大きいこと。もう一つは、どぎつい色彩。最後に人がたくさんいることです。

 

音が大きい、のは慣れてくることもあれば、時間が経っても嫌がり続けることもあります。

人の声や、工事現場の騒音よりも、音楽の方がより慣れにくいようです。

ボーリング場はボールが床やピンに当たってたてる音に加えて、音楽がかかっています。

そのため、ゲームセンターはもとより、ディズニーランドもまったく楽しめない、どころか怖がってだっこから離れることができません。

 

自閉症と、音に敏感であることがリンクしているケースは多いと聞きます。

ただ、結びつけて考えても、何かいいことがあるとは思えません。

もちろん、息子に関しては、ということです。

 

大音量がどのように嫌なのか、は息子が説明しようとしませんし、説明を聞いて対処できることがあるとも思えないので、特に聞いていません。

嫌がり方は、抱っこをせがみ、抱っこされると耳をふさいでいます。

暴れたり、声を出したり、はしません。

対処法は単純で、その場に慣れるまで居続けるか、その場所を離れて静かな場所に移動するか、です。

 

今のところ、慣れるまで居続けるのは、よっぽどの事情があるか、息子がそれを望むか、のどちらかの限られた場合しかありません。

息子が望むのは、例えばコンサートに行ったとき、映画を見ているとき、等です。

対処療法ではありますが、耳栓を試してみたいと思っています。

 

さて、そんな息子、同じ週末に大好きな銭湯に行ってきました。

まず、ママと一緒に入り、一度出てから今度はパパと一緒に入りたい、と言います。

この銭湯、内湯と外湯があり、息子は内湯が怖いと言います。

なので、この時期、寒くて仕方がないのですが、外湯へ行くことになります。

 

なぜ、内湯が嫌いなのか、今回、初めて、聞いてもないのに教えてくれたのですが、音が怖いのだそうです。

風呂場は密閉されていて音がこもりますからね。

私自身がどちらかというと音に鈍感です。そのため、普段から音がうるさいと息子に言われないとうるさいと認識しません(先日、良く行くスーパーで音楽がなっていることに、それも結構な音量でなっていることに初めて気づき、息子がスーパーに行くのを嫌がる理由は、遊べないからということではなくこの音のせいなのかもな、と気づいたくらいです)。

そのため、銭湯の内湯より外湯が好きな理由はてっきり、内湯には人が多い(外湯の方がスペースがあるため混雑しているように見えない)からだと思っていました。

だからなんだな、とその時は理解して、外湯に向かいました。

 

ところが、外湯でしばらく浸かって遊んでいると、内湯へ行きたい、と言い出しました。

もちろん、抱っこされていきたいそうで、息子を抱っこして風呂場を歩き回るとお大事様をタオルで隠せないため恥ずかしいのですが、そんなことも言ってられず、抱っこして内湯へ移動します。

抱っこしたまま内湯に浸かっていると、息子がもぞもぞしています。

おしっこしたいのか!?と身構えましたが、そうではなく、離してもらいたいそうで、離すとそのまま周辺(お湯の中)を歩き始めます。

正直、とってもびっくりしました。

 

夜、妻にこの状況を説明していたとき、息子が家で、音に過敏に反応することはない、という話になりました。

そもそも大音量を出すことがありませんが、目覚ましの音や、家電のアラーム音にも怖がることがないのです。

音に敏感なのは、音ではなく、場所に慣れていないからなのかもしれない、ということです。

内湯に入った銭湯は今回で3回目、特に気に入っている場所なので、早く慣れたのかもしれません。

 

まだまだ息子の成長、というか適応には分からないことが多くあります。

そして、それが楽しくもあります。

見通しを立てること、見通しがつくこと

息子が発達支援教室に通い始めて20日余り、すっかり慣れてきたようで、朝から行きたくないと叫ぶことがほとんどなくなりました。

幼稚園では半年くらい、行きたくないと泣き続けたのと比べると、私たち両親にとっては驚くような適応ぶりです。


一旦、教室についてしまえば楽しく過ごせている(本人的には)、これは幼稚園から変わりがありません。

まだまだ部屋の移動(遊んでいた部屋から体操する部屋への移動など)はぐずることがあるようです。

一般に、自閉症というのは、将来に対する不確定要素を嫌い、見通しがはっきりしないと強い不安を覚える、ことが多いとよく耳にします。

そうなのかもしれません。しかし、それって、ほとんどの人間は、自閉症であるなしに関係なく、そうなんじゃないでしょうか。

先の事が分からないからわくわくする、という人って本当に少数派なような気がします。

私の個人的な見解はともかく、息子に対しては、翌日の予定を教室から親(妻)に連絡ノートに書いて教え、それを妻が息子に何度か(前日、当日の朝など)説明、教室に着くと先生が簡潔な絵を描いて説明しています。

その効果なのか、前述の通り、教室に行くことを以前ほど嫌がらなくなり、また苦手な教室移動もスムーズにできるようになってきたようです。


また、椅子に座っていることができない、という問題も見つかりました。

家では、食事をする時以外、椅子に座ることが基本的にはありません(親の膝、というか腿に座っていることがよくありますが)。

食事の時の椅子は、一人で座れるようになってからずっと使い続けている椅子、つまり、椅子と机が一体となっているようなもので、落ちないようにしっかりと囲まれているタイプです。

しかし、支援教室にある椅子は、初め、ひじ掛けの無い(但し脚は短い)椅子だったようで、息子はぐにゃぐにゃと動き回った挙句、何度も椅子から転げ落ちたようです。

そのため、ひじ付きの椅子に交換されました。

ひじ付なんて、会社じゃ偉くならないと座れないんだよ、と教えましたが、もちろん本人はきょとんとしています。

これは小学校に通うまでに解決すべき課題です(まだだいぶ時間があるので心配していませんが)。


同じ発達支援教室に通っている子供には、言葉の出てこない子供も多い中、息子はとてもよくしゃべります。

そのため、一見して発達が遅れていることが分かりません。

そのせいもあってか、妻はなかなか知り合いができないと愚痴っています。


ただ、通い始めて1か月も経たないうちではありますが、発達支援教室の先生からは、いつまでも通う必要はないのでは、という話が出てきています。

2月の初めには4月以降も継続して発達支援教室に通うかどうかを決め、通う場合には申請を出さなければならないのです。


4月から発達支援教室に通わなくなる、ということは幼稚園に復帰することになります。

発達支援教室は、昨年9月から週1回、夕方の時間から初めて、年明けから、週4日朝から午後までに拡大しました。

発達支援教室を継続しない、ということは、まったく通わなくなるのではなく、週1日夕方に行く、に戻すということです。

週4日通っていた子供は週1日のクラスには、ほぼ入れるらしく、逆に週1日に通わないという選択肢はないようです。


ここら辺、理解はできても感情は追いつかないところです。

発達支援教室に通うのは、狭き門。

多額の補助金も出ていることですし、運営する側としては本当に必要な子供がしっかり通えるようにしたい(逆に通わなくて済む子供を受け入れることはしたくない)。

親としては、通わせてみて改めて思うのですが、幼稚園と比べて先生の数が多く、目が行き届いている分だけ丁寧に指導してもらえるので、子供のできることが増えます。そのため、同級生から発育が遅れているのであれば、追いつくために、通わせられるものなら通わせたい。

さらに、一度、同級生から発育が遅れたので、今後(の長い人生で)もう発育が遅れて困ることのないよう、根本からしっかり指導してほしい。

これが理屈で、理解の部分です。


一方で、幼稚園に通えるようになるのはうれしい、というのが感情です。

発達支援教室に通ったことで同級生と同じような(ともに過ごせる)状態まで発達したのだ、ということが喜ばしいのは言うまでもありません。

しかし、それだけであれば、理解の部分で書いたとおり、更に通わせることがより子供のためになるのかもしれません。

それよりも、同学年の子供と違うことをしなくてはならない、というストレスから解放されることの方が大きいように思います。


とはいえ、息子が幼稚園に戻るのは、早くても4月から。

幼稚園の同級生の親子にはできることなら会いたくない、という妻のストレスはまだまだ続きそうです。

説明の方法

息子が理解できないことの多くは、息子の理解力ではなく、私たち両親を筆頭とする周りの大人の教え方が上手ではないから、であると思っています。

よっぽど教え方に自信がある場合を除いて、別の説明を考えてあげようとするべきだ、ということです。

特に私の場合は大人に何かを説明する際にも理屈っぽすぎると言われがちなので。

 

説明については、週末、私なりに面白い発見がありました。

息子が最近、肩車してもらうのが大好きで、しかも通常思われる肩車ではなく、片方の肩を横向きに股で挟む肩車が好きです。

結果、私の見ている方向と息子の観ている方向が90度ずれることになるのですが。

 

その状態で(通常の肩車でも同じなのですが)、指をさして、あっちへ進んでほしいと言うわけですが、肩車の土台を受け持っている父親には、その「あっち」がどちらむきであるのか、まったく見えません。

なので、ベットのある部屋とか、玄関の方とか、リビングとか、別の言葉で言い換えてほしい、とお願いしています。

この課題は難易度が高いらしく、息子は必死に頭を働かせ、「暗いお部屋」(主に父親のスーツや本などが置いてある部屋)、「缶詰のある部屋」(食糧の保存場所)と言った注文を出しています。

誰にでも伝わる指示、というわけではないものの、普段の息子の会話からすれば、場所が特定できる程度の指示にはなっているわけです。

 

一方、それとは別に、息子と何度も行っているショッピングモールに行く機会がありました。

妻がそこに先に行っており、私と息子が後からその場所へ合流しました。

ただ、妻は中のスーパーで買い物しており、正確に妻のいる場所は分からない状況です。

私としては、妻のたどるであろうルートが概ね想像できるため、それに沿って探していけばいいはずと思っていたのですが、自分が先行して息子に後を追わせるのは、息子が視界に入らないことから取りたくない選択肢です。

ということで、息子を先に歩かせ、後ろからどっちに行くのか、そこの角を曲がるのかまっすぐ行くのか、と指示を出すわけですが、これがまあめんどくさい。

左右とまっすぐ、という方向に関する単語が理解できないため、どうしても、手で指さしてこっちだ、あっちだと言ってしまうわけです。

息子に求めたことが自分では全然実現できないのだな、と深く反省しました。

 

概念として息子に理解が難しい事柄の一つに信号があります。

道を横切る前に信号を確認しなければならないと言うことは理解できても、どの信号を見るべきか、が分からないのです。

直進の場合は、目の前の信号を見る、というのは理解できます。

問題は曲がる場合です。

信号を見ながらまがった場合、曲がったところに、信号があります。

これが目に入って止まってしまう、あるいは曲がる前に横の信号を見て、赤だから進めない、というわけです。

 

これは正解がある問題なので、説明を工夫して、社会のルールを学んでもらう必要があります。

これに対して、正解はないものの、何らかのルールを知っている必要がある問題、というのもあります。

 

息子のおもちゃコレクションがだいぶ充実してきておりまして、例えばお砂場に持っていくセットは、スコップやバケツ、プラスチックのダンプカーなど、大き目の目に付きやすいおもちゃの他、ちょっと前までドングリや木の枝が多く入っていました。

諸事情あり、このドングリや木の枝が古いトミカ7台で100とかで買ってきた中古のトミカ)に入れ替わっています。

そうすると、頻繁に無くすわけです。

もちろん、無くしてもいい、という前提で買ってはいるのですが。

できるだけ、紛失を避けるために、お砂場について、袋からトミカを出したとき、そして帰る前にトミカの台数を数えることにしています。

 

このトミカの台数を数える、つまりモノの数を数えると言うのは、

・もれなく数えること

・同じものを二度数えないこと

の二つが必要です。

そのため、一度カウントしたものはよけておくとか、印をつけるとか、数える前に一列に並べておくとか、するわけです。

 

ここまでの話が理屈でわかっていたとしても、大人だったら、数個を数える時には、そんなめんどくさいことはしないわけです。

5つのものを数えるなら、さらっと数えますよね?

ところが、息子は5つのものでも重複したり、抜けたりするんです。

 

教えることは回数を繰り返すうんざりする営みであることは徐々に理解が進んできましたが、なお、どう説明したらいいのか、という難問が立ちふさがっていると。