告知

息子にどのタイミングで自閉症であることを伝えるか、は非常に難しい問題です。
ただ、少なくともその時までに、自分の中で自閉症とは何なのかを整理しておく必要があるのだろうと思っています。
このようにブログを書いているのも、その整理に役立てばいいな、という気持ちが強いです。
とは言っても、その伝えるタイミングはまだ先の事でありますし、娘の結婚式では娘に何を伝えればいいのかな、と思うのに似ているかもしれません。

最近、この記事を目にして、タイミングの件を思い出しました。
https://anond.hatelabo.jp/20170626215134
これが息子によって書かれたものだとしたら、あるいは将来、息子がこんな風に考えるのだとしたら、とても悲しいです。
そして、こんなことを伝えてあげたいと思います。

■人生は効率的でなくてもいい
もっと早く自閉症が分かっていれば、余計なお金を支払うことも、余計な時間を使うことも(学校に通うことも)なかったのに、と書かれています。
振返ってみて、こうしていればよかった、という後悔は人生では常に付きまといます。
でも、人生なんて正解が分かっているものではありません。
前に進んだり後ろに戻ったり、上がったり下がったりを繰り返すものではないでしょうか。

少なくとも、無駄とされている学費について、私は大した問題ではないと思います。
でも、それよりも寄り道をすることが後から得がたい経験だったとわかることもありますし、自分にとってふさわしくない環境が分かるだけでも、やってみた価値があります。
つまり、後ろや下にさがることはマイナスとも言い切れないのです。
さらに言えば、自分の人生をそのように振り返ることが、幸福に生きる、ということではないでしょうか。

自閉症はただの性質だ
この方の文章にも書かれている通り、自閉症であってもコミュニケーションが取れ、恋人までできる人生を送ることができます。
そもそも自閉症であることは、伸長が高いとか、目がいいとか、足がくさいとか、そんな性質の一つです。
その性質が、物事の難易度(学校生活を送るとか)を決めていることはあります。
しかし、できること/できないこと、を決める要因になることは、相当に稀でしょう。

背が低いからバスケットボールの選手になれない、ということはあるかもしれません。
でも、それって背が低いから、だけでしょうか?
もっと他にも原因があるのではないでしょうか?
自閉症についても同じです。
それが成功を難しくしている要因であることは否定しませんが、それだけが決定因ではないでしょう。

ちなみに、私は、だから努力すれば乗り越えられるんだよ!、みたいなことを思っているわけではありません。
もしかしたら、努力で乗り越えられるのかもしれないとは思います。
でも、そこで努力すべきなのか、別の道を模索すべきなのか、は選択できる問題であるはずです。


若いときはきれいごとに聞こえるかもしれません。
あるいは、私が自閉症ではないから言えること、なのかもしれません。
でも、親としては、そんなことを言い続けてあげたい、と思っています。