キドアイラク

人間だれしも、褒められるとうれしいものです。
だから、他人のいいところを見つけてほめよう、悪いところを見つけて批判するのは
やめよう、となるわけです。
子育てでも、ほめて伸ばす、が現在の風潮であることは言うまでもありません。

ところで、褒めよう!はいいのですが、褒められた側はどのような対応をすべきか、
という問題があります。
偉いよね、良くできたね、と褒められて、
ありがとうと言うべきなのでしょうか。
うれしさを前面に出して、やったーっと叫ぶべきなのでしょうか。
うれしさを隠して、もっと褒められようとするべきなのでしょうか。

息子は、親のやっていることに参加したがる性格です。
料理していれば台所にやってきますし、洗濯物を干して(取り込んで)いればベラン
ダに出てきます。
料理は刃物や火など危ないものがたくさんありますし、洗濯物は触られると(間違い
なく落とすので)汚れてしまいます。
なので、気持ちは嬉しいけど、手は出さないで、とお願いされて、台所では水道をひ
ねったり、ベランダでは水鉄砲を撃ったり、していることになります。

息子としては、これは遊んでいるのではなく、自分の出来る範囲で、親の手伝いをし
ていることになります。
そのため、ベランダで水鉄砲を撃ちながら、これはお掃除をしているんだよ、お水を
掛けるとそれだけで綺麗になって掃除になるんだよ、と自分で解説しています。

料理や洗濯と比べて、参加しやすいのが掃除です。
わたしは週末のどちらか一日、家じゅうのほこり取りをやって、掃除機をかけるので
すが、これに参加したがります。
ほこり取りをしていれば、自分もやりたいからハンドモップを貸してくれ、と言うわ
けです。
もちろん、貸してやると掃除が進まないので、彼専用のモップを買ってあり、それを
渡してあげています。
息子はそれを持って、壁やテレビなどを撫でているのです。

時々、ここ届くー?と聞かれ、その聞かれている場所が目の前の壁だったりするので
すが、届くかもしれないけど、息子くんが掃除してくれて助かるなー、ありがとう、
と返しています。
最近は、狭い隙間に身体を半身で押し込んで、ここ届くー?をやっています。
これだと、そこは身体が大きなパパには無理だなー、ありがとう、と言えるので助か
ります。

ありがとう、と言われた息子は、微笑むでもなく、次の掃除場所探しに向かうんです
よね。
それでいいのかな、と思うのですが、どうしたらいいのか、は私にもわかりません。

一方で、悲しさの表現は豊かで、大きくは2種類あります。
一つ目は、しくしく泣く、ってことです。
ミニストップで息子がアイスを買って、妻がソフトクリームを買ったことがありま
す。
ソフトクリームが出来上がるのを待つ間、私は店外のゴミ箱に行っていたのですが、
戻ってみると息子が泣いていました、しくしくと。
で、事情を聞くと、前のお客さんのアイスが出てきたときに、息子は自分達のものだ
と思って手を伸ばし、ソフトクリームにさわっちゃったらしいのです。
それを妻に怒られて泣いていた、と。

もう一つは、泣き叫ぶ、ってことです。
車でお出かけした帰り、遊び疲れた息子は車内で昼寝していました。
小一時間ほどでしょうか、家の駐車場に着いて、起こすとぎゃんなき。
何を言っても泣き止まず、通行する人たちには不信な目で見られ、小さいころは良く
あったことですが、最近は珍しいなあと思いました。

喜怒哀楽を押し殺すのが発達、なのかもしれませんし、大人になるってことなのかも
しれません。
もちろん、悲しいことなんてないに越したことはないのですが、起こってしまったこ
とはしょうがない。
私たち両親の前だけでも、存分に感情を爆博させてくれるなんて、うれしいことだと
思うようにしたいです。