政治がらみで一躍有名になった病院へ

週末は緊急外来で腹痛の診断をしてもらった息子ですが(幸いなことに腹痛は完全に収まったようで)、平日に幼稚園を休んで、自閉症の診療のため、病院に行ってきました。

息子の場合、自閉症の可能性を初めに指摘してくれたのが幼稚園です。
次に幼稚園の勧めで、自治体の発達支援教室に相談に行き、疑いが濃厚ということで、そのまま教室に通うことになりました。
今回、その教室から、継続的に医者に診てもらった方がいい、というアドバイスをいただき、病院に行くことになったのです。

私の周りの病院事情による可能性もありますが、自閉症の診察はざっくり3ヶ月以上前の予約が必要です。
今回の病院はたまたま空きがあったのか、1か月ほどで診察をうけることができました。

ところでこの病院、数年前に政治がらみで非常に有名になりました。
病院側が悪いことをした、というよりも、受け取った政治家側の対応がよく分からなくて問題になった事案です(もちろん、病院側もそれなりの意図があったので関与したのでしょうし、真っ白ではないと思いますが)。
まあ、診察してもらう先生はその病院に勤めているだけなので、まあいっか、くらいの気持ちで行きました。

病院では息子が遊んでいる傍らで先生と妻が面談を行いました。
正味1時間半ほどです。
いろいろと話は出たのですが、一番大きな話は、息子の自閉症が疑いがあるではなく、間違いなく自閉症、という診断を受けたことでしょう。
検査結果を点数化して、全40点中10点以上だと自閉症と診断されるところ、30点近くありました。
これにはショックを受けるより前に、思わず笑っちゃったよ、と妻が言っていました。

病院の雰囲気も良く、先生も話しやすかったようで、妻は満足しており息子も嫌がっていないようなので、私も安心しました。
医者や病院との相性も重要であることから、複数の病院をまずは訪ねてみるのが良い、という教室からのアドバイスに従い、もう1つ別の病院を予約しているのですが、もうそっちは行かなくてもいいかも、という話をしています。

ところで、自閉症で医者にかかる必要があるのは何故だろうか、という疑問は消えずに私の中にあります。
どころか、今回の病院往訪を経て、ますます強まっています。

こと自閉症に関して、病院は治療を行う場所ではないように思えます。
息子が就学前は、という限定付きです。
発育支援については発達支援教室が毎週行ってくれていますし、こまごまとした相談もそちらが便利です。
教室は就学までの限定的なものなので、そこまでは教室で十分、ということです。


就学後のことについては現時点で見通しがたたないため、相談できる外部の専門家は医者だけになるのかもしれません。
その際に、小さいころから息子に対する理解を深めてくれた先生がいてくれる方が心強く安心であることは間違いありません。

ただ、相談だけではなく、実際に何かをしてくれるのか、は今のところよく分からないのです。

少し話がずれますが、今回の診察の中では、息子には他の子供とは違うところがあり、それを理解してあげてほしいという話があったそうです。
特に息子は不安が強い傾向が見てとれ、なるべく不安を解消できるような方法を探してほしい、という話もありました。

もちろん、不安に思っている息子をすぐに慣れるだろうと思って、一人で立ち尽くさせるようなことをするつもりはありません。
不安が解消されるような方法を探すべき、ということも、理解できます。
具体的には、先の見通しが立たないことが息子の不安をあおるようなので、一日の見通しを示してあげよう、といったことです。

ところで、私にとって不安を解消すると言うことは、不安の生じる場面を避けましょう、ということではありません。
その場で起こる最悪の事態を想定して、その結果を受け入れる、ということなんです。
怖い部長と二人で話をしなければならないとします。会社の会議室での話であれば、殺されることはないでしょうし、どころか暴力を振るわれることもまずないでしょ
う。仮に激高させても会社をクビになる可能性は低いですし、評価が下がるくらいの事でしょう。
低い評価の結果も生活が維持できなくなる可能性は低いですし、最悪転職することもできます。
ということで、まあ評価が下がらないように頑張ろう、と思うわけです。

なんで突然、私のことを書き始めたのかというと、私は自分自身が自閉症なのではないかと疑っております。もう大人ですし、困ってもいないので、ほおっておりますが。
一言でいうと、他人に共感しずらいのです。
そんな私がしている方法が息子にも当てはまるのではないかと思いがちなんです。

これは不安の解消に限らないのですが。
そして、この話を妻とすると、例外なくこじれます。
妻の言い分は、息子はまだ4歳なんだから、そんな話をしてもまだ理解できないだろう、というものです。
私もそれはそれで理解できます。ただ、今すぐ息子にそれを理解させるのではなく、将来的にどのような解決を目指すのか、を共有し、そこに向けて教育していくことが必要だろうと思うがために、この段階でその話をしているわけです。

自閉症の子供に対して、自分のやり方を押し付けるのは良くない、と言われます。
どうしてこんなこともできないのだ(自分はできるのに)ではなく、その子なりの解決に導くことが必要、という言われ方です。
本人にとって受け入れられない方法、その特性から効果的ではない方法があり、他の子供と比較することが、不効率な方法になりがちである、という話は理解できます。
一方で、その子なりの解決というのは、後から判明するような事柄であって、自閉症の子供向けの対応のテンプレートが用意されている、と感じることも多々あります。
いきなり手さぐりでオーダーメイドを作り出すことよりも、まずはテンプレートに沿ってやってみて徐々にカスタマイズしよう、という方法はよく理解できます。
ただ、そのテンプレートは、正直なんだっていいんじゃないか?という気がすることも確かです。
何故なら、自閉症の症状はその子供によって異なる、ことが前提だからです。

やっぱり私にとって、上手く呑み込めていないのはこの点なんでしょうね。