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見通しを立てること、見通しがつくこと

息子が発達支援教室に通い始めて20日余り、すっかり慣れてきたようで、朝から行きたくないと叫ぶことがほとんどなくなりました。

幼稚園では半年くらい、行きたくないと泣き続けたのと比べると、私たち両親にとっては驚くような適応ぶりです。


一旦、教室についてしまえば楽しく過ごせている(本人的には)、これは幼稚園から変わりがありません。

まだまだ部屋の移動(遊んでいた部屋から体操する部屋への移動など)はぐずることがあるようです。

一般に、自閉症というのは、将来に対する不確定要素を嫌い、見通しがはっきりしないと強い不安を覚える、ことが多いとよく耳にします。

そうなのかもしれません。しかし、それって、ほとんどの人間は、自閉症であるなしに関係なく、そうなんじゃないでしょうか。

先の事が分からないからわくわくする、という人って本当に少数派なような気がします。

私の個人的な見解はともかく、息子に対しては、翌日の予定を教室から親(妻)に連絡ノートに書いて教え、それを妻が息子に何度か(前日、当日の朝など)説明、教室に着くと先生が簡潔な絵を描いて説明しています。

その効果なのか、前述の通り、教室に行くことを以前ほど嫌がらなくなり、また苦手な教室移動もスムーズにできるようになってきたようです。


また、椅子に座っていることができない、という問題も見つかりました。

家では、食事をする時以外、椅子に座ることが基本的にはありません(親の膝、というか腿に座っていることがよくありますが)。

食事の時の椅子は、一人で座れるようになってからずっと使い続けている椅子、つまり、椅子と机が一体となっているようなもので、落ちないようにしっかりと囲まれているタイプです。

しかし、支援教室にある椅子は、初め、ひじ掛けの無い(但し脚は短い)椅子だったようで、息子はぐにゃぐにゃと動き回った挙句、何度も椅子から転げ落ちたようです。

そのため、ひじ付きの椅子に交換されました。

ひじ付なんて、会社じゃ偉くならないと座れないんだよ、と教えましたが、もちろん本人はきょとんとしています。

これは小学校に通うまでに解決すべき課題です(まだだいぶ時間があるので心配していませんが)。


同じ発達支援教室に通っている子供には、言葉の出てこない子供も多い中、息子はとてもよくしゃべります。

そのため、一見して発達が遅れていることが分かりません。

そのせいもあってか、妻はなかなか知り合いができないと愚痴っています。


ただ、通い始めて1か月も経たないうちではありますが、発達支援教室の先生からは、いつまでも通う必要はないのでは、という話が出てきています。

2月の初めには4月以降も継続して発達支援教室に通うかどうかを決め、通う場合には申請を出さなければならないのです。


4月から発達支援教室に通わなくなる、ということは幼稚園に復帰することになります。

発達支援教室は、昨年9月から週1回、夕方の時間から初めて、年明けから、週4日朝から午後までに拡大しました。

発達支援教室を継続しない、ということは、まったく通わなくなるのではなく、週1日夕方に行く、に戻すということです。

週4日通っていた子供は週1日のクラスには、ほぼ入れるらしく、逆に週1日に通わないという選択肢はないようです。


ここら辺、理解はできても感情は追いつかないところです。

発達支援教室に通うのは、狭き門。

多額の補助金も出ていることですし、運営する側としては本当に必要な子供がしっかり通えるようにしたい(逆に通わなくて済む子供を受け入れることはしたくない)。

親としては、通わせてみて改めて思うのですが、幼稚園と比べて先生の数が多く、目が行き届いている分だけ丁寧に指導してもらえるので、子供のできることが増えます。そのため、同級生から発育が遅れているのであれば、追いつくために、通わせられるものなら通わせたい。

さらに、一度、同級生から発育が遅れたので、今後(の長い人生で)もう発育が遅れて困ることのないよう、根本からしっかり指導してほしい。

これが理屈で、理解の部分です。


一方で、幼稚園に通えるようになるのはうれしい、というのが感情です。

発達支援教室に通ったことで同級生と同じような(ともに過ごせる)状態まで発達したのだ、ということが喜ばしいのは言うまでもありません。

しかし、それだけであれば、理解の部分で書いたとおり、更に通わせることがより子供のためになるのかもしれません。

それよりも、同学年の子供と違うことをしなくてはならない、というストレスから解放されることの方が大きいように思います。


とはいえ、息子が幼稚園に戻るのは、早くても4月から。

幼稚園の同級生の親子にはできることなら会いたくない、という妻のストレスはまだまだ続きそうです。