説明の方法

息子が理解できないことの多くは、息子の理解力ではなく、私たち両親を筆頭とする周りの大人の教え方が上手ではないから、であると思っています。

よっぽど教え方に自信がある場合を除いて、別の説明を考えてあげようとするべきだ、ということです。

特に私の場合は大人に何かを説明する際にも理屈っぽすぎると言われがちなので。

 

説明については、週末、私なりに面白い発見がありました。

息子が最近、肩車してもらうのが大好きで、しかも通常思われる肩車ではなく、片方の肩を横向きに股で挟む肩車が好きです。

結果、私の見ている方向と息子の観ている方向が90度ずれることになるのですが。

 

その状態で(通常の肩車でも同じなのですが)、指をさして、あっちへ進んでほしいと言うわけですが、肩車の土台を受け持っている父親には、その「あっち」がどちらむきであるのか、まったく見えません。

なので、ベットのある部屋とか、玄関の方とか、リビングとか、別の言葉で言い換えてほしい、とお願いしています。

この課題は難易度が高いらしく、息子は必死に頭を働かせ、「暗いお部屋」(主に父親のスーツや本などが置いてある部屋)、「缶詰のある部屋」(食糧の保存場所)と言った注文を出しています。

誰にでも伝わる指示、というわけではないものの、普段の息子の会話からすれば、場所が特定できる程度の指示にはなっているわけです。

 

一方、それとは別に、息子と何度も行っているショッピングモールに行く機会がありました。

妻がそこに先に行っており、私と息子が後からその場所へ合流しました。

ただ、妻は中のスーパーで買い物しており、正確に妻のいる場所は分からない状況です。

私としては、妻のたどるであろうルートが概ね想像できるため、それに沿って探していけばいいはずと思っていたのですが、自分が先行して息子に後を追わせるのは、息子が視界に入らないことから取りたくない選択肢です。

ということで、息子を先に歩かせ、後ろからどっちに行くのか、そこの角を曲がるのかまっすぐ行くのか、と指示を出すわけですが、これがまあめんどくさい。

左右とまっすぐ、という方向に関する単語が理解できないため、どうしても、手で指さしてこっちだ、あっちだと言ってしまうわけです。

息子に求めたことが自分では全然実現できないのだな、と深く反省しました。

 

概念として息子に理解が難しい事柄の一つに信号があります。

道を横切る前に信号を確認しなければならないと言うことは理解できても、どの信号を見るべきか、が分からないのです。

直進の場合は、目の前の信号を見る、というのは理解できます。

問題は曲がる場合です。

信号を見ながらまがった場合、曲がったところに、信号があります。

これが目に入って止まってしまう、あるいは曲がる前に横の信号を見て、赤だから進めない、というわけです。

 

これは正解がある問題なので、説明を工夫して、社会のルールを学んでもらう必要があります。

これに対して、正解はないものの、何らかのルールを知っている必要がある問題、というのもあります。

 

息子のおもちゃコレクションがだいぶ充実してきておりまして、例えばお砂場に持っていくセットは、スコップやバケツ、プラスチックのダンプカーなど、大き目の目に付きやすいおもちゃの他、ちょっと前までドングリや木の枝が多く入っていました。

諸事情あり、このドングリや木の枝が古いトミカ7台で100とかで買ってきた中古のトミカ)に入れ替わっています。

そうすると、頻繁に無くすわけです。

もちろん、無くしてもいい、という前提で買ってはいるのですが。

できるだけ、紛失を避けるために、お砂場について、袋からトミカを出したとき、そして帰る前にトミカの台数を数えることにしています。

 

このトミカの台数を数える、つまりモノの数を数えると言うのは、

・もれなく数えること

・同じものを二度数えないこと

の二つが必要です。

そのため、一度カウントしたものはよけておくとか、印をつけるとか、数える前に一列に並べておくとか、するわけです。

 

ここまでの話が理屈でわかっていたとしても、大人だったら、数個を数える時には、そんなめんどくさいことはしないわけです。

5つのものを数えるなら、さらっと数えますよね?

ところが、息子は5つのものでも重複したり、抜けたりするんです。

 

教えることは回数を繰り返すうんざりする営みであることは徐々に理解が進んできましたが、なお、どう説明したらいいのか、という難問が立ちふさがっていると。