政治がらみで一躍有名になった病院へ

週末は緊急外来で腹痛の診断をしてもらった息子ですが(幸いなことに腹痛は完全に収まったようで)、平日に幼稚園を休んで、自閉症の診療のため、病院に行ってきました。

息子の場合、自閉症の可能性を初めに指摘してくれたのが幼稚園です。
次に幼稚園の勧めで、自治体の発達支援教室に相談に行き、疑いが濃厚ということで、そのまま教室に通うことになりました。
今回、その教室から、継続的に医者に診てもらった方がいい、というアドバイスをいただき、病院に行くことになったのです。

私の周りの病院事情による可能性もありますが、自閉症の診察はざっくり3ヶ月以上前の予約が必要です。
今回の病院はたまたま空きがあったのか、1か月ほどで診察をうけることができました。

ところでこの病院、数年前に政治がらみで非常に有名になりました。
病院側が悪いことをした、というよりも、受け取った政治家側の対応がよく分からなくて問題になった事案です(もちろん、病院側もそれなりの意図があったので関与したのでしょうし、真っ白ではないと思いますが)。
まあ、診察してもらう先生はその病院に勤めているだけなので、まあいっか、くらいの気持ちで行きました。

病院では息子が遊んでいる傍らで先生と妻が面談を行いました。
正味1時間半ほどです。
いろいろと話は出たのですが、一番大きな話は、息子の自閉症が疑いがあるではなく、間違いなく自閉症、という診断を受けたことでしょう。
検査結果を点数化して、全40点中10点以上だと自閉症と診断されるところ、30点近くありました。
これにはショックを受けるより前に、思わず笑っちゃったよ、と妻が言っていました。

病院の雰囲気も良く、先生も話しやすかったようで、妻は満足しており息子も嫌がっていないようなので、私も安心しました。
医者や病院との相性も重要であることから、複数の病院をまずは訪ねてみるのが良い、という教室からのアドバイスに従い、もう1つ別の病院を予約しているのですが、もうそっちは行かなくてもいいかも、という話をしています。

ところで、自閉症で医者にかかる必要があるのは何故だろうか、という疑問は消えずに私の中にあります。
どころか、今回の病院往訪を経て、ますます強まっています。

こと自閉症に関して、病院は治療を行う場所ではないように思えます。
息子が就学前は、という限定付きです。
発育支援については発達支援教室が毎週行ってくれていますし、こまごまとした相談もそちらが便利です。
教室は就学までの限定的なものなので、そこまでは教室で十分、ということです。


就学後のことについては現時点で見通しがたたないため、相談できる外部の専門家は医者だけになるのかもしれません。
その際に、小さいころから息子に対する理解を深めてくれた先生がいてくれる方が心強く安心であることは間違いありません。

ただ、相談だけではなく、実際に何かをしてくれるのか、は今のところよく分からないのです。

少し話がずれますが、今回の診察の中では、息子には他の子供とは違うところがあり、それを理解してあげてほしいという話があったそうです。
特に息子は不安が強い傾向が見てとれ、なるべく不安を解消できるような方法を探してほしい、という話もありました。

もちろん、不安に思っている息子をすぐに慣れるだろうと思って、一人で立ち尽くさせるようなことをするつもりはありません。
不安が解消されるような方法を探すべき、ということも、理解できます。
具体的には、先の見通しが立たないことが息子の不安をあおるようなので、一日の見通しを示してあげよう、といったことです。

ところで、私にとって不安を解消すると言うことは、不安の生じる場面を避けましょう、ということではありません。
その場で起こる最悪の事態を想定して、その結果を受け入れる、ということなんです。
怖い部長と二人で話をしなければならないとします。会社の会議室での話であれば、殺されることはないでしょうし、どころか暴力を振るわれることもまずないでしょ
う。仮に激高させても会社をクビになる可能性は低いですし、評価が下がるくらいの事でしょう。
低い評価の結果も生活が維持できなくなる可能性は低いですし、最悪転職することもできます。
ということで、まあ評価が下がらないように頑張ろう、と思うわけです。

なんで突然、私のことを書き始めたのかというと、私は自分自身が自閉症なのではないかと疑っております。もう大人ですし、困ってもいないので、ほおっておりますが。
一言でいうと、他人に共感しずらいのです。
そんな私がしている方法が息子にも当てはまるのではないかと思いがちなんです。

これは不安の解消に限らないのですが。
そして、この話を妻とすると、例外なくこじれます。
妻の言い分は、息子はまだ4歳なんだから、そんな話をしてもまだ理解できないだろう、というものです。
私もそれはそれで理解できます。ただ、今すぐ息子にそれを理解させるのではなく、将来的にどのような解決を目指すのか、を共有し、そこに向けて教育していくことが必要だろうと思うがために、この段階でその話をしているわけです。

自閉症の子供に対して、自分のやり方を押し付けるのは良くない、と言われます。
どうしてこんなこともできないのだ(自分はできるのに)ではなく、その子なりの解決に導くことが必要、という言われ方です。
本人にとって受け入れられない方法、その特性から効果的ではない方法があり、他の子供と比較することが、不効率な方法になりがちである、という話は理解できます。
一方で、その子なりの解決というのは、後から判明するような事柄であって、自閉症の子供向けの対応のテンプレートが用意されている、と感じることも多々あります。
いきなり手さぐりでオーダーメイドを作り出すことよりも、まずはテンプレートに沿ってやってみて徐々にカスタマイズしよう、という方法はよく理解できます。
ただ、そのテンプレートは、正直なんだっていいんじゃないか?という気がすることも確かです。
何故なら、自閉症の症状はその子供によって異なる、ことが前提だからです。

やっぱり私にとって、上手く呑み込めていないのはこの点なんでしょうね。

妻の誕生日の後、初めての週末だったため、お祝いをしたいという話を家族でしていました。
息子も乗り気で、金曜の夜には、明日はママの行きたいところに行こうね、と話をしていました。
ところが、私たち夫婦で行きたい場所を決めるのに手間取り、土曜の朝に息子に提案したところ、息子が全拒否。近くの公園に遊びに行きたいと強く主張します。
他にも歯磨きを嫌がったり、グダグダと過ごしているうちに、妻のやる気(外出する気力)が萎え、結局は家の近くの公園に遊びに行きました。

公園では、これまで本来の用途では使えなかった遊具で遊べるようになりました。
滑車から釣り下がったロープにつかまり、移動する遊具です。
今までは、ロープを持って、一緒に走る、という遊び方だったのですが、何度か抱えたまま息子を移動させ(走り)、その後は手を放しても遊べるようになりました。
ひどく気に入ってくれたようで、大変な思いをしたかいがありました。

これなどは、できるのに手を出さない、という事例で、手助けが適切にできれば、息子のできることが広がる、ことを改めて実感しました。
息子の特性とは関係なく、子供の個性によるもの、ということです。

昼食の後、昼寝をしてから、息子も食べたがっていたケーキを買いに、数駅離れた場所まで買いに行きました。
そのケーキ屋さん、駅からも遠く、20分ほどですかね、歩いたのですが、ケーキ屋さんで売っていた飴を渡すことで、機嫌良く過ごせました。
状況が一変したのは、家に帰ってきてからです。
手洗い・うがいをしていると、突然、涙を流して、お腹が痛いいたいと訴えるのです。
普段、見たこともない様子にびっくりしました。

お腹を強打していないことは、ずっと一緒にいたので分かります。少なくとも、今日一日はありませんでした。
次に、食べ物に当たった可能性も、息子だけが食べたものはないことから否定されます。
もっと複雑な原因であれば、病院に行っても検査がされず様子を見るだけだと思われ、食あたり程度であればそのうち治まるだろうとも思いました。つまり、動かすことが返ってよくないかもしれないとは考えました。
しかし、お腹に手を当てたままぐったりしている息子を見るに見かねて、病院に連れて行きました。
もう一つ、息子が病院に行きたいと強く主張したことも、病院に行った理由です。

普段、病院は息子にとって全く楽しい場所ではありません。
小児科には少しおもちゃが置いてありますが、家で遊べるなら家を選ぶのが息子です。
まして、これから行く病院は息子が一度も行ったことのない病院だ、ということも説明しました(かかりつけは、その時間にはあいていなかったので)。初めての場所に行くことは嫌がられる可能性が高いからです。
幼稚園の先生や誰からから痛いときには病院へ、という話を聞いたのか、どのような理由だか分かりませんが、息子はそれでも病院に行きたい、と言いました。

土曜日の夜にもかかわらず、幸いなことに、救急外来がすぐ近くに見つかりました(先ほどケーキを買いに行った場所のすぐ近くだったため、同じ場所に舞い戻ることになりましたが)。
病院への移動中は、泣きそうな顔をして黙っている時間もあれば、電車を見て(好きな色の電車がきたので)はしゃいだり、どうもずっと痛いわけではなく、断続的に波のある痛さのようではありました。

病院では、案の定というか、予想通りというか、腸蠕動で痛みのでる子供が一定数いるのでそれではないか、様子を見て、痛みが引かないあるいは強まるようであれば、精密検査をしましょう、ということになりました。
待合室に戻ってお会計を待つ間、置いてあったおもちゃを、効果音(ごぉー、とか)つけて遊んでましたからね、まあ、ホッとしました。

私たちがちょうど帰ろうとした時、入れ違いで2歳になったかどうかくらいの男の子がやってきました。
騒ぐ男の子を両親が必死に落ち着かせていました。
待合室は空いており、その場にいたのは、診察の終わって会計を待つ私たちだけだったので、子供に対してはやりたいようにしてくれていいんだよ、と思いましたし、ご両親に対しては、大事ないといいですね、と心の中で思いました。

土曜日の深夜に緊急外来に来るのは、相当な何かがあったのだろうと思います。
自分達もそうでしたが、診察が終わらないと気が気ではないでしょう。
ご両親にとって、騒ぐ子供をあやすことが、不安から目をそらす一助となるのかもしれません。
いずれにしても、ご両親もお子さんも、そんな目に囲まれていることが伝わればいいのに、と思いました。

発達支援教室からの就学

幼稚園に馴染めない息子は今年(2017年)の1月から3月まで幼稚園をお休みし、発達支援教室に通っていました。

4月からは、週4日は幼稚園、残りの1日を支援教室に通っています。

その支援教室では、朝行くと、準備をしてから、それぞれの子供に割り当てられた課題(パズルとか塗り絵とか)をし、一日の予定を説明してもらった後、別のクラスの子供たちと大きな教室(学校でいうところの体育館のような場所)で身体を使って遊びます。

これは、以前、会社が休みの際に(今年2月です)見学に行った様子を書いたことがあります。

大きな教室での遊びの後、各クラスに分かれて今日の予定(工作だったり、お散歩だったり)を行っていきます。

息子はこの大きな教室での遊びが好きではなく、初めのうちはそれこそ号泣して抵抗していました。

私が見学に行った際には、場所の移動こそすんなりと行い、身体を動かしているという意味では遊んでいるものの、表情はなく、楽しそうとは程遠い状況でした。

息子は身体を動かすこと自体は嫌いではありません。

家などの屋内で遊んでいることも好きですが、外を走りまわることもあります。

息子が大教室を嫌がる理由は、従って身体を動かすことではなく、大教室にたくさんの人間(子供たちも先生方も)がいるから、なんだそうです。

というか、息子が自分でそう言っています。

それから、ターミナル駅など、人が多いところでは、息子が嫌がることが分かってきました。

ただ、ゴールデンウィークの最中、動物園に入るための混雑と行列が出来ていたのですが、これは嫌がらないんですよね。

音の問題なのかもしれません。

この辺は、息子の苦手なものも変わっていきますし、突き詰めてもしょうがないのかなと思っています。

4月から週に1日になった発達支援教室は、何故か幼稚園以上に行きたくないとごねます。

行ってしまえば楽しく過ごしているようですし、帰り際にはもっと遊んでいきたいと言っているので、何が嫌なのかよく分かりません。

その発達支援教室から、息子がこれまで見せたことのないような笑顔を見せた、という報告がありました。

その日、いくつかある発達支援教室の別のクラスは全てお休みで、息子のクラスだけで大きな教室を使うことになりました。

息子の笑顔がはじけたのは、その話を聞いたとき、だったそうです。

大きな教室って別のクラスの子供がいたところで、人口密度がそれほど高いわけではありません。

というか、息子のクラスだけだとすかすかして不安になってしまいそうなくらいです。

それでも喜ぶ、のは普段がどれほど嫌なのかの裏返しかなと思うと、やっぱり息子とはいえ、他人の痛みを共有するのは大変だなと思います。

さて、発達教室がらみでもう一つ、保護者向けの就学説明会、が行われました。

メインの対象は年長の子供を持つ親ですが、息子のような年中の親も聞いておくべき、と言われて妻が参加してきました。

一つ、妻がとても驚いていたことがあります。

自閉症について特別な配慮を学校に求める場合、支援学級という他の子供とは別のクラスに編成される、と思っていたのですが、どうもそれだけではないようです。

具体的には、知的障害の子供と一緒に支援教室で学ぶ方法もあるのですが、その他にも、学校が終わってから自閉症の子供向けの追加授業をしてくれる、あるいは週に1日だけ、自閉症の子供向けの教室で学ぶ方法もあるようです。

あくまでも、わたしの住んでいる地域の話で、市区町村によっては異なるのだろうと思います。

そして、来年になると制度自体が変わっている可能性もなくはありません(このような取組がなされたのはごく最近のことのようだったので)

まずは少し、仕組みが整えられていることに安心しました。

就学というのは先のようでありますが、将来を決定付ける、大きな選択になるかもしれません。

幼稚園までは、通わない子供もいるので、ある意味多様性があります。

これが小学校になるとすべての子供が通います。

大多数の子供と明確に異なるレールに乗るのか、という判断になるように思われるのです。

公立小学校への進学の話なので、親が選択するだけではなく、特別な対応を求めるための審査があります。

受かるか、落ちるか、どちらが喜ばしいのだか分からない審査です。

私たち夫婦は将来の受験を意識した私学への進学は今のところ考えていませんでした。

ですが審査結果によっては、息子にあった私学を探してみることも必要になるかもなと思ったりもしました。

幼稚園の保育参観

幼稚園の保育参観に妻が参加してきました。

4月に復帰した後、幼稚園の様子を先生から聞くことは多々ありました。

実際に様子を見る機会も1度ありまして、これは妻が給食当番(親が当番制で、子供の給食の配膳などの手伝いをするものです)だったことによります。

息子は食べることが基本的には大好き、給食も美味しくなかったからお代わり1回しかしなかったよ!と得意げに披露するような男です。

そのため、給食当番では、ニコニコした息子の様子しか見られず、それはそれで微笑ましくていいのですが、今回、改めて実際に幼稚園の課題をこなしている姿は新鮮だったようです

私は知らなかったのですが、担任の先生と息子との間では、先生が何かしましょう(歌を歌いましょう、これで遊びましょう)と言った際、それはやりたくない!と叫ばないように、という「お約束」がなされているようです。

そして、それを息子ががんばって守っていた。

まあ、がんばって、と書いていることから、進んで参加するわけでもないし、そもそも参加していないことも多いし、言わないように堪えている様子が感じられる、ということで、別に望ましいことではないのですが。

ですが、それでも、これってすごく大きな進歩なんですよね、本人にとっては。

息子が、これをしようよ♪と言われたときに、とりあえず、やらない!と叫ぶのがいつ始まったのか、明確には覚えていません。

ただ、遅くとも3月以降でしょうか、外食に行けばお店の前で一回は、このお店には入らない!と絶叫して宣言しますし、料理が出てきたら食べない!と全力で主張しています。

自分が頼んでいないものを一口食べてみない?と聞いても拒否ります。

食べ物以外でも、(息子の服を)買に行こうよ、自転車で公園に行こうよ、その風船で遊んでみようよ、なんでももれなく拒否ります。

言いっぱなしで、実際にはお店に入るし、食べるし、その他だいたいは楽しく過ごすのですが(楽しくないことを誘うことはありませんし)。

まあ子供なんでね、と思います。

軽い反抗期みたいなものかとも思います。

でも、家の外でこれをされると結構キツイことも多々ありまして、例えば外食で、料理が出てきた瞬間に、食べない!と宣言されるとお店の人や、他のお客さんの手前、申し訳ない気持ちになります。

後からそれを美味しそうにほおばっているのですが、いらない発言を聞いた人が誰しも息子の幸福感にあふれた食事風景を見ているわけではないですから(声の方が遥かに遠くまで伝播しますし)。

前に書いた、友人の家に遊びに行った時にも、せっかく用意してくれた食事を、食べない!と宣言されるのはですね、きついですね。

お互いに親なので、分かってくれていると信じたいところではありますが。

保育参観の中では、白いボールを卵に見立て、親鳥の気持ちで卵を大事に抱えながらいろいろなお遊びをしていました。

歌を歌ったり、先生について教室内を歩いてみたり。

しかし、息子は子供たちの輪には全く交わることなく、卵を見つめ、卵に話しかけていたそうです。

教室の隅に、一人で。

友達と遊ばず一人で遊んでいるというのは自閉症の典型的な症例の一つだと言われます。

妻はそんな息子の姿をみて、あまりにもハッキリと自閉症っぽかったのでかわいそうを通り越して、返って笑いそうになった、と言っていました。

私は、その話を聞いて、特に息子が一人でいることを苦にしていないのであれば、彼の人生の時間の使い方を自分で選べる、ある意味よい幼稚園だなと思っていました。

そして、これから先も、他人からどのように見えていても、つまり私たち親が息子の状態をどんなに惨めだったりかわいそうだと思ったとしても、彼には彼なりの幸せがあることを忘れないようにしたいと思いました。

流れゆく日々、動かない息子

ゴールデンウィークは、カレンダー通りに休みました。
車で動物園に行ったり、少し時間を掛けて新幹線を見に行ったり、近くの公園で過ご
したり。

しばらく前から、平日は昼寝をさせていなく、土日は息子に昼寝するかどうか、選ん
でもらっています。
息子の言うことはその日、一日の最中でもくるくる変わるのですが、相当穏やかに過
ごさないと昼寝なしで夕食を楽しく食べられることはありません。
自分から昼寝すると言うこともありますし、黙って寝てしまうこともあります。
相当穏やかに、は部屋で遊んでいるときくらいで、公園に行っただけでも午後はグダ
グダになります。

さて、ゴールデンウィークの一日、先日集まった友人たちと、そのうち一人の家で
バーベキューをしました。
子供たちがお互いの顔を忘れにないうちにもう一回集まろう、という企画です。

ホストのおうちで全ての食材を用意してくれた、どころか、お肉を焼くのもそこのご
主人がしてくれたので、食べるために座っていただけ。
穏やかで天気もよく、最高の午後でした。

食材だけではなく、息子のためにおもちゃまで用意してくれていまして。
それが、手に持つタイプの扇風機です。羽の部分はフェルトで触ってしまったところ
で、怪我する心配のないもの。柄の真ん中あたりにボタンがあり、そこを押すと羽が
回るのです。
息子はたいそう気に入り、ずっと持っていました。
自分で涼むことには使わず、もっぱら何かに向かって羽を回し続けていましたが。

息子は、食事するからと座らされたことがまだ遊びたいのに、と不満だったらしく、
聞かれてもいないのに、バーベキュー嫌-い!お肉食べたくなーい!と叫んで、せっ
かく気を使ってくれているゲストの気分を害してどうするのだと両親をどきどきさせ
ましたが、焼けたお肉が運ばれてくるとモノ言わずぼおばっておりました。
お肉の他にもジャガイモやトウモロコシを焼いたり、サラダ、ガスパチョ、を用意し
てくれたり、食後にはフルーツポンチまで作ってくれました。
フルーツポンチ、子供の分をよそった後、大人の分はソーダをかけたのですが、こ
れ、びっくりするくらい美味しかったです。

主食にはおにぎり。
近くで採れたタケノコをふんだんに入れてくれたタケノコご飯のおにぎり、白飯のお
にぎりに醤油を塗りつつ、軽く焦げ目がつくまで焼いた焼きおにぎり、どっちも美味
しかったです。
余談ですが、息子はここでタケノコご飯の美味しさに目覚めたようで、連休中にさら
に何度かタケノコご飯を食べる機会に恵まれました。
さらに、連休後の幼稚園の給食でも出てきて大喜びしたようです。なんですが、、、
幼稚園の給食って、全部食べ終わったらお代わりができる、というルールなんです。
ところが幼稚園のタケノコご飯は、息子の苦手な油揚げが入っていたようで、それが
どうしても食べられなかったらしく、お代わりできなかったんだよ、と翌朝、訴えら
れました。

食後は、お庭で子供たちが遊んでいました。
今回は庭なので、新しいおもちゃが少なく(前回は室内だったので、ホストの子供が
持っているおもちゃを全て取り出して検分しておりましたが)、一人ではすることも
なかったからでしょうか、同じ年の女の子に力強く絡んでいました。
あそぼーよー!と言うのはもちろん、こうしたい!をすごくはっきり主張していまし
た。
相手の女の子が3ヶ月年上で比較的おとなしいこともあり、連れまわしていた感じで
す。

帰り道、車の中、後部座席で疲れて寝てしまった息子を、赤信号の度に振り向いて眺
めました。
あれだけ騒いでいたのが嘘だったかのように、まるで一言も発せず、一度も動いたこ
とのない人形であるかのように息子は眠っていました。
我が子がかわいい、という親であれば誰もが持つような感想を自分が持てたことに感
謝しました。
人と違っているのは息子であって、息子が周りにもたらすあれやこれやではないの
か、とも思いました。

そして、こんな日々がいつまで続くのか、少しでも長く続いてほしいとも思いまし
た。

焼肉と目薬

4月は珍しく肉の日(29日)が休日(土曜日)だったので、あれこれ調べてみた挙
句、焼肉屋に行くことにしました。
当日に調べ始めたため、ランチには間に合わず、夜です。

昼間は公園で走り回りました。
主に、私が、です。
息子は、パパに通りすがってもらう、かくれんぼが気に入っているのですが、これ
は、かくれんぼの変形です。
かくれんぼは見つかったら捕まるのですが、通りすがってもらうバージョンは、隠れ
ている人が鬼に見つけられた(見つけた、という顔で近づいてきますので)ところ
で、改めて逃げ出し、茂みに隠れ直す、という遊びです。
ポイントは、すぐに見つかるところに隠れ、見つかったらすぐに移動して一瞬見失わ
せたうえで、また見つけてもらうように隠れる、というところでしょうか。
隠れ続けるには走り回らないといけないので、鬼より隠れる方がよっぽどつかれる、
気を抜けない遊びとなっています。

たっぷり遊んだあと、早めにお風呂に入り、帰ってきたらすぐに寝かせられる体制を
整えた上で家をでて電車でお店に向かいます。
息子はおとなしく電車に揺られていた上、終点では普段じっくり見ることの出来ない
特急電車(最寄駅は停車駅ではないので、走っているのは何度も見ているのですが)
を眺めました。
普通、電車って、一番先頭、もしくは最後尾から電車の「顔」を見るのが楽しいん
じゃないかと私は想像していたのですが、息子はどっちに行くのも嫌がり、真ん中が
見たいというので、真ん中を見ていました。
夕方の特急に乗る人たちは帰宅する人が多いのでしょうか、くつろいだ様子で、電車
(の途中)を眺める私たちを面白そうに眺めていました。

お目当ての店に着いたのは18時頃でしょうか、既に満席、予約がないと入れない状
態でした。
がっかりしつつも、別のお店に移動し、無事に堪能して帰ってくることができまし
た。

ところが、翌日、いいお肉を食べたから、ではないと思いますが、息子の目が腫れ
る、という事件がありました。
白目とその周辺が急に腫れて、眼球には涙が溜まっています。
日曜日だったのですが、家から最寄りの眼科が開いていることをインターネットで調
べ、行ってみたところ、コンタクトレンズ用の処方箋を出しているだけで一般の診療
はしていないと言われ、救急センターに確認したりしながら、眼科を探していきまし
た。
息子は初め、どこに遊びに行こうか♪という感じだったのですが、両親から目をこす
らないよう強く言われて怖くなったのか、痛い痛いと言い出しました。いや、直後に
笑っているし、本当かなと思っていたんですよね、いずれにしても大至急で病院を探
し、向かっていましたが。
幸いなことに眼科で待っている間に(眼科はとんでもなく混んでいました)腫れが引
き、涙も治まったので、目薬だけを処方してもらって帰ってきました。医者の見立て
も、急性だったら様子を見ても大丈夫、だったようです。

息子は、恐らく多くの子供と同じように、医者が好きではありません。
待合室に人がいっぱいいるのが嫌、診察の時には母親と離れて一人で座らないといけ
ないのが嫌、そして、治療行為そのものが嫌なようです。
何故か、歯医者だけは先生の扱いが上手いのか(私も知っている人なのですが、無愛
想で、大人だったらあまり近寄りたくないような感じなのですが)嫌がらずに行ける
し、口の中を見てもらえるようです。
逆に一番嫌がるのは耳鼻科です。
耳垢で耳孔がふさがったように見えたことがあり、連れて行ったのですが、泣き喚い
て抵抗しました。

気持ちは分からんでもないので、しょうがないと思うのですが、しょうがないですま
ないことは、その後の自宅での後処置です。
耳鼻科に行ったときは、しばらく耳掃除を欠かさず行っていましたし、今回は目薬を
一日3回、ささなくてはならないのですが、これがまあ、抵抗するわけです。

目薬って自分で入れるときであっても、まぶたを抑えながらたらしますよね。
でも、息子の瞼を抑えようとすると、それだけで暴れだします。
そのため、上を向かせて、目から少し離れたところから目薬を投下することになりま
す。
2階から目薬と言うほどの距離でこそありませんが、命中率が低いことこの上ないで
す。
目薬なんて最後は余るんだろうと思っていますから、多少命中しないで無駄になるこ
とくらいなんでもないのですが。

目薬の苦行はしばらく続くことになりそうです。

復帰後の1か月

3ヶ月の休養期間を経て、4月から幼稚園に復活してほぼ1か月。

思っていたよりも幼稚園生活は順調のようです。

 

順調に思える要因はいくつかあるようなのですが、

・朝、幼稚園に行きたくないと口にする回数が減った

幼稚園の入口で泣き喚いて帰りたいと抵抗することがほぼなくなっ

・幼稚園で床に寝そべることなく座っていられるようになった

・友達に手をあげることがなくなった

・幼稚園にいる最中の表情が柔らかくなった

などなど。

 

発達支援教室に通って成長したなあ、と親も幼稚園の先生方も、感謝している状況です。

もちろん、発達支援教室に通うことでできるようになったこともありますし、息子が頑張っていると思えることもあります。

しかし、個人的に大きいと思っているのは、これらに加えて、幼稚園の先生方ががんばってくれていることです。

 

進級式の日に、一日の予定を記載したイラストを用意してくれていましたが、これは発達支援教室で行っており、息子には効果があった方法を幼稚園の先生が取り入れてくれたものです。

あるいは、先生が100均の滑り止めシートを買ってきて、椅子に張り付けてくれた、ということもありました。

息子が椅子にちゃんと座っていられないことへの対策として、です。

発達支援教室ではひじ付の椅子を用意してくれていました(もっと小さい子用の椅子に下駄をはかせて息子に使わせてくれていた)。

息子が座っていられないのは、本人が嫌がるからという本人の問題(というか成長の遅れ)だけではなく、身体能力的にまだ座っているのが困難という面もあるようで、ひじ付椅子はその対策です。

幼稚園でも座っているのが困難なのは同じなのですが、方法は違えど、身体能力の不足をカバーするような対策を考えて、実行してくれていたということです。

 

これは息子のためだけではないのですが、年少では各クラスに2の先生がいることに加え、クラス関係なく年少全体を見る先生がいました。

年中からは本来各クラスの担任だけになります。

しかし、今年から、クラス関係なく年中全体のサポートをしてくれる先生が一人追加になったのです。

 

息子のためだけはない、という話の補足ですが、幼稚園から発達支援教室に通う子供が今年は二人、追加になったと聞いています。

これまでと比べて、支援教室に通う子供が増えているのです。

その幼稚園に特殊な事情があるとはあまり思えないので、通う必要のある子供を見つけ、受け入れるだけの体制が整ってきているということだと思います。

詳細は把握していませんが、息子は今年から、行政の試験的な支援事業の対象にもなっています。

これは、発達支援教室、幼稚園の関係者の皆様が受け入れてくれたことで実現したものです

たまたまではありますが、息子にとって必要な時期に、必要な手当てがなされていることに本当に、感謝の気持ちが止まりません。

 

さて、一方で、昨年度にはなかった課題もいくつか浮上してきました。

全体としてどうまとめていいものやらと思うので、出来事を二つ書き留めておきたいと思います。

 

一つ目は、幼稚園で体操の時間があるのですが、その中で鬼ごっこをしているときのことです。

先生が鬼になり、園児たちを追い回すのですが、これが怖くて泣いてしまったようです。

先生は、鬼が怖いのかと思い、2回目は、鬼ではなくバイキンマンが追ってくるから逃げて、という設定に変更してくれたようなのですが、これも効果なく、怖くて泣いてしまいました。3回目はバイキンマンをオオカミに変更してみたところやっぱりだめ。

怖がりで、すぐに泣いてしまうこと自体は、まあかわいいと言えばかわいいのですが。

 

この話、先生が、次回は先生と一緒にみんなを追いかける方をやろうか、と言ってくれたらしく、こんなところでも幼稚園の対応って素晴らしいなあと思っているところです。

 

二つ目は、幼稚園の課外でサッカー教室をやっており、その「体験」に参加した時のことです。

そもそも、サッカー教室の体験に息子が、行きたい!と言ったこと自体が驚きでした。

春休みの期間に地域の水泳教室があり、安かったので申し込んだのですが、どうしても行きたくないと言うのでキャンセルした経緯があったからです。

 

驚きというのはうれしい驚きの方で、息子が興味を持ってくれたのであれば、しめたもの、申し込んで行ってきました。

サッカー教室は主として年長の子供たち向けのようですが、ボールを蹴ったり、それを追いかけて走ったりなど、周りの子に比べて決してうまくはない、どころか指示されたこととやっていることがあっているのかどうかもよく分からない状態ではありましたが、息子は楽しくやれたようです。

途中までは。

前半は主にボールの扱いに慣れるための個人練習のようなもの、後半に試合形式だったのですが、試合中に泣き出してしまいました

試合と言っても、チームが分かれ、ゴールが決められており、ボールを複数使ったものです。

パスを要求されるとか、シュートを外して見方からなじられるとか、そういうレベルでは全くありません。

 

なんですが、息子には、みんなが自分の周りで走り回っているのが怖かったらしいです。

当日、サッカー教室の直後にもいっていましたし、翌朝、私と話しているときにも言っていました。

 

ただ、いずれでもそうなんですが、泣いたことが恥ずかしいって認識はないんですよ。

単なる昨日の出来事を語っているだけで、そこに感情がこもっている様子はありません。

言い方を変えると、改善しようって気持ちが本人にはないってことです。

 

「怖い」という感情を徐々に乗り越えてくれれば、それが一番いいことだとは思っています。

乗り越えるのは、自分一人のチカラでもいいと思いますし、誰かの助けを借りることでもいいと思います。

どうやったら自分が怖さを乗り越えられるのか、その方法を知る、また増やすということです。

 

ただ、一朝一夕にできるようになるわけではないこともまた確かです。

その出来るようになるまでの間はどうしたらいいのだろう、が悩ましいです。

泣き出すことは解決ではないからダメなんだ、と教えてもいいものなんでしょうか。

それを教えることで、怖さに耐えられるのであれば、周囲に迷惑をかけることは減るかもしれません。

ですが、息子の中では解決されず、人から(両親である私たちも含め)隠してしまうことになるわけです。

怖い時になくことが恥ずかしい、と教えることも同じ問題を引き起こします。

 

子育ては悩み続きを地で行く話ですね。