池の周りに生い茂る木々

前職の同僚たちで、当時月1回は昼か夜に集まって食事をしていました。

コアのメンバーが6人ほど、今でも付き合いが続いています。

 

転職や離職に伴い、職場は散り散りになりましたが、それぞれ結婚して子供ができ、今度は誰かの家に集まるようになりました。

出産や家族の死去などがあり間が空きましたが、今回、2年振りに集まることになり、友人宅に行ってきました。

ホスト含め、4家族の参加です。

家から車で1時間半ほど、の場所です。

 

12時集合でランチを食べ、話をしながら、夕方に解散というプランです。

着いてすぐにお昼を食べる、だと慣れない場所で食事することになり、息子には辛いのではないか、ということで、ちょっと早めに現地近くに着いて、公園で遊んでから、目的地に行くことにしました。

現地へ向かう前に、お土産を家の近くで買いました。一人がハチミツを持っていく、と言うので、食パンにしました。有名なパン屋さんがあるのです(そこの食パンは何もつけなくても美味しいので、これでいいのか、多少悩みはしたものの)。

 

現地近くでは偶然、池のある開けた公園が運転中に見つかり、駐車場も空いていて、幸運でした。

公園沿いのいくつかのおうちからは、家を隔てた反対岸の木々が見えました。

桜もかろうじて咲いていましたが、それがなくても新緑の緑だけで、十分に気持ちが軽くなる眺めでた。

雨や台風の際には水かさが増える恐れがあるのか、どの家も高台に建っており、より一層、良い眺めなのではないかと思いました。

しかし、家の向きが公園にしっかり向いていないのです。

後から公園の造作が変わったのか、もともと公園を眺めることに興味がないのか、いずれにしてももったいないなと思いました。

かなり広い公園だったのですが、入ってすぐのところに滑り台やブランコなどの遊具があり、お砂場もありました。

息子はお砂場遊びを強固に主張したものの、これから他人の家に上がるのに汚れるのは嫌で、道具を持ってきていないことを理由に諦めてもらいました。

少し進むと、健康器具のようなものがあり、こちらで楽しく遊んでいるうちに砂場の事はすっかり忘れたようでしたが。

健康器具の一つに私たち両親がはまり、遊んでいたところで、小さな子供がやりたそうに見ているのに気付いて恥ずかしい思いをしたりもしました。

 

公園は池に沿って道路が整備されていたのですが、途中からは、小山のように盛り上がっていました。

階段の上り下りが好きな息子が、上りたい!と言うので、無駄に大変な思いをして階段を上りました。そして何もせずに降りてきました。

降りるときには、脇の坂道を下りましたが、息子は下り坂を走るのが好きなので、手を繋いで走り降りました。

次の階段では、初め、これも上る、と言っていたのですが、途中から、やっぱり下でママと待ってるからパパ、上を見てきて、と言われました。

他人に任せるようになったのか、という成長を感じつつも、こき使われている感じも否めません。

歩いている途中では、マムシなどが出現する可能性があるので、道から外れた茂みなどには立ち入らないように、という看板があり、道に出てくることもあるだろうに、大丈夫なのかなという話を両親はしました。

 

公園の出発点から反対の端には、やはりブランコや滑り台と言った遊具が置いてありました。

息子がブランコで遊んでいると、遊びに来た男の子に話しかけられました。

聞けば、今年年長になったとのこと、一緒にブランコに乗っていれば自分で漕げますし、よく見ると乗ってきた自転車には補助輪がついていません。

息子は三月生まれなので、学年が一つ違うと年齢は2歳近く違う可能性がありますが、それにしても運動神経がいいのだな、と感心しました。

 

そもそも、年長とはいえ、幼稚園児を一人で講演で遊ばせる、というのは私の住んでいる地域では観られないので、その点が一番びっくりでした。

ですが、よく聞いてみると、近くのベンチに父親が座ってみているとのこと、まあそうだよな、と納得しました。

息子は次から次へと、その子が持っている持ち物に興味を示します。

自転車、自転車のかごに乗っているグローブとゴム製の野球ボール。

 

私、近くで見守っている父親がこの光景をどう見ているのだろう、と考えていました。

その子の持ち物を、その子が了解しているとはいえ、他人の子供が使っているのです。

しかも、息子は一人では使えないので、自転車は親が押していますし(補助輪なしの自転車は乗れない)、グローブは子供同士が投げ合ってもキャッチボールにならないので、私が投げています。

見ようによっては、知らない大人たちが、自分の子供の持ち物を勝手に触っているようにも見えるので。

 

帰り道、その父親の近くを通った際に、一緒に遊んでくれてありがとうございます、と声を掛けられました。

そこでやっと、少し良いことをしたのかな、と気が楽になりました。

 

そこから池の反対側を歩いて車に戻ったのですが、何度も聞いたのに、息子が途中でトイレに行きたいと言い出しました。

急かして歩かせ、途中からは私が息子を抱えて走り、18キロの物体を抱えたまま走るのは、5分が限度だと思い知りました。

 

お友達のうちでの様子に続きます。

雨と桜と進級式

長かったようで、でもあっという間だった、息子の春休みが終わりました。

当面、幼稚園に週4日、発達支援教室に1日通います。

その幼稚園の進級式が土曜日にあり、これが新年度の始まりになりました。

 

進級式当日は小雨が降る、肌寒い朝でした。

幼稚園では、年中から制服を着ることになります。

とは言っても、行き帰りだけなんで、幼稚園に着いたらすぐに着替えることになるのですが。

何度か試しに着てみたことはあったものの、ちゃんと着替えて、しかも外出するのは初めて。

新しいパリッとした制服でテンションあがるよね、というのは息子には全くなく、いつも通り、着替えには大変手間取りました。

幸い、両親が一緒だからなのか、幼稚園に行くこと自体には全く抵抗しなかったのですが。

 

幼稚園に着くと、クラス替えがあったので、新しいクラスを教えてもらい、教室に向かいます。

教室に着くと、自分のロッカーの場所を覚えます。

ロッカーは名前順に並んでいるのですが、息子は、そのルールから外れ、一番端っこのロッカーが割り当てられていました。

 

そのことよりも、ロッカーの脇に、今日の行事の流れを書いたカードが飾られていました。

教室で用事を済ませる→先生の話を聞く→進級式にでる→教室に戻ってくる→解散

それぞれのカードは、イラストが添えられています(文字はまだ読めないですし)。

 

この方法、息子には(息子に限らないのですが)とても落ち着かせる効果があるようで、発達支援教室でやっていた手法です。

幼稚園の先生が発達支援教室の見学に来てくれた際にやり方を学び、用意してくれていたとのこと。

 

私、自分でも息子でも、特別扱いされるのが、おこがましくも恥ずかしく思う方で嫌なのですが(貧乏人の性分ですね)、ロッカーの位置もカードも、幼稚園が息子を受け入れよう、通わせようとしてくれる気持ちが見えて、とても有難いと思いました。

息子はいい人に囲まれていて、幸せだなとうれしくなりました。

 

親は一足先に進級式の会場(大きなホール)に移動し、準備が整うと先生に率いられて園児たちが入場してきます。

息子は最初に入ってきたクラスの一番最後に、担任ではない先生に手を引かれて歩いてきました。

この担任ではない先生が以前、発達支援教室の見学に来てくれた、幼稚園全体の遊軍のような位置づけの先生です。が、息子専任のようになってしまっています。

息子は、親指と人差し指で○を作り、それを目に当てて顔を隠して入場してきました。

ホールには人がたくさんいて恥ずかしかったのでしょう。

 

式はみんなで歌いましょうから始まり、幼稚園の先生方、職員さんの紹介があり、最後にお偉いさんの挨拶がありました。

初め、専任の先生の陰に隠れて私の座っている位置からは全く息子が見えなかったのですが、途中で他に泣き出した子供がいて、専任の先生がそちらにかかりっきりだったので、息子の様子をよく見ることができした。

私、会場の正面後方に座っていたのですが、息子は左手にいました。ところが、左隣に座っているお父さんは息子が右側にいたらしく、微妙に視線が交錯するようなしないような。席を代わればよかったんですけどね、言い出せないところが日本人だなーと思いました。

 

式の最中、泣き出すことはなく、それどころか、じっと正面を向いたまま、息子は座っていました。

昨年の秋、運動会では、崩れ落ちるように椅子から落ちていたことを考えると、格段の進歩と言え、感心しました。

 

ただ一方で、息子はじっと正面を向いたままなんです、真剣な顔をしながら。

先生が話していても先生を見ているわけではありません。

先生・職員のみなさんの紹介は寸劇のような形で行われるのですが、ニコリともしませんし、誰かの様子を目で追っていることもありません。

みんなで歌いましょう、にも全く反応している様子はなく、口も動いていません。

 

見ようによっては、退屈な時間に耐えているだけ、とも見えるのです。

息子の心のうちは分かりません。

分からないのですが、他人と違うと言うことは、親からは、他人からはこのように見えるんだ、ということに涙が出そうになりました。

 

式が終わり、教室に戻り、担任の先生を中心に歌を歌いました。

そこでも息子は座っているだけ。表情が変わることもありません。

歌が終わると、先生から、保護者に向けて説明があるので、みんなちょっと静かに待っていてね、とお願いがありました。

その時です、今日はじめて、息子が動いたのは。

待っている間、何をしたらいいの?、と聞いたんです。

 

先生と同じく、私もびっくりしていて、先生が受け流したことは覚えているのですが、何を言ったのかは思い出せません。

ただ、息子が言われたことにうなずいたことは覚えています。

 

保護者向けの説明が終わると、雨は止んでおり、園庭も思ったほど濡れていないので、写真を撮るなりして帰ってくださいね、と言われました。

お友達同士、写真に納まる子供たちに混ざることなく、遊んでいく?という問いかけに答えることもなく、早く帰ろう、と急かされました。

お願いして何枚か桜と一緒の写真を撮って、誰よりも早く、幼稚園から出ていきました。

 

息子は将来、この日のことを思い出すだろうか。思い出すとしたら、それは楽しい記憶なのだろうか、辛い記憶なのだろうか。

そう思いながらも、どっちの記憶であれ、思い出してほしい、そ時に写真が手掛かりになるといいな、と思いました。

花見と船酔い

週末は土曜日が雨でしたが、翌日曜日は晴れていたので、近くの河川敷に花見に行ってきました。

桜はまだ五分咲きといったところでしょうか。

川沿いなので、散歩している人も多かったのですが、夜に備えてでしょうか、ブルーシートを広げて手持無沙汰そうにしている人も多く、平和な光景が広がっていました。

息子は花見には全く興味がないらしく、出発前から、行きたくない、歩きたくないを連呼するので、お菓子で釣って歩いてもらいました。

ただ、途中からは楽しくなったようで、坂道を走り降りたり、道端の虫を気味悪がったり、川の流れをじっと眺めていたりしました。

途中で河川敷を離れて、大きな池のある公園に行きました。

この池では、ボートの貸出を行っています。

足こぎと、手こぎがあるのですが、以前、足こぎに乗ったことを覚えていたらしく、また乗りたい、と言うので、ボートを借りることにしました。

足こぎボートは、私には少し小さく、前回はとても腰が痛くなりました。

今回は妻の腰が完治していないこともあり、漕ぎ手が一人では心もとなく、手漕ぎボートを借りることにしました。

オールを動かしてボートが進む様子は、たいそう楽しいようで、景色が変わっていくのを、鴨がボートの近くを泳いで通り過ぎるのを、息子は楽しく眺めていました。

自分でもオールを動かしてみたいらしく、2本同時はさすがに無理で一本だけを握りしめ一生懸命いじっていました。

また、池には船のラジコンを浮かべて遊んでいる大人(ほとんどがおじいさん)もいて、ラジコンを恐らくは息子のためでしょうか、ボートに近づけて走らせてくれたので、それを眺めて歓声を上げていました。

出かける前から、ピクニックがしたい、と言っており、その意味するところは、屋外で食事がしたいと言うことなのですが、今回寒そうで断念してもらいました。

ただ、池の周りにはお弁当を広げる家族、友人も多くいました。

もうすぐピクニックができる季節になるだな、とも思いますし、そのような季節がまた廻ってきた、とも思います。

さて、発育支援の教室はお休み中ですが、息子は久々に教室に行ってきました。

知能テストを受けるためです。

平日に行われたテストの様子は妻から聞くだけですが、後日、当日のレポートが送られてきましたので、目を通しました。

知能レベルについては現段階では遅れが見られず、特段の問題はないこと。

今回はテストに挑む態度についても観察して居たところ、事前に何をするのかを把握し、ふざけないで取り組むことを約束させてから始めたところ、テストが支障なく行えたこと。

そして、指先の力が弱く、本人(息子)がそれに対して苦手意識を持っていること。

等が書いてありました。

知能面での問題が見られないことは、私たち両親もそうだろうと思ってはいました。

もちろん、現時点での、という注釈つきであり、今後の学習によってはどうなるか分からないものです。

そして、学習の場である学校に馴染めなければ、知能(というか知識)が遅れる可能性もあるのでしょう。

とはいえ、客観的に問題がないことが一つ意見としてもらえて、とても安心したこともまた事実です。

指先の力が弱いことについても、同年代の子供との比較ではないのですが、気にはなっていました。

ただ、それを息子本人も気にしていた、とは思っていませんでした。

最近、ブランコに乗って、歌を歌うのが好きな遊びの一つなのですが、その際に歌う歌は、息子の自作の歌がほとんどです。

テレビを見る機会が少ないことから、知っている歌がないからなのか、と思っていましたが、妻によれば、知っている歌がないことはその通りであるものの、完全に歌詞とメロディを覚えている歌でないと、自信がないから歌わないのだそうです。

以前、発育支援教室の見学に行った際、みんなで行うダンスに参加していないことがありましたが、これも自信の無さから来るもののようです。

指先のチカラは、鍛えることでついてくる、つまり使うことが一番の解決策のようなので、積極的に使えるように促そうか、という話を妻としました。

「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」、はオリンパスCMで使われているキャッチフレーズですが、息子もココロとカラダが互いに互いを引っ張って成長していってほしいものです。

抱っこと腰痛

様々な移動手段の中で、息子が一番おとなしくしているのは、後部座席に座っているときです。

車でも、自転車でも、歌ったり、(車なら)本読みをねだったり、話しかけたり、じっとしているわけではないのですが、文句も言ずに座っています。

電車での移動も好きな部類に入りますが、ここ最近は車移動をより好みます。

理由は明快で、電車の中ではお菓子が食べられない(制限している)からですね。

歩いて移動するのは、嫌いではないと思います。

家の中や慣れてきた遊び場では、親から離れることはあまりありませんが、歩き回ります。

しかし、買い物や電車の中、公園までの移動で歩くのは苦手です。

歩きたくないと訴え、抱っこしてほしいとせがみます。

口では、疲れたから歩けない、眠たくなったら歩けない、などなど言うのですが、それよりも外部の刺激の中、抱っこされている安心感に勝るものはない、のだろうと思います。

余談ですが、息子は嫌なことを、なんとか過ぎる!とよく口にします。

疲れ過ぎてもう歩けない!とか。

ごはん食べない、眠すぎる!とか。

これを聞くと、美人過ぎる市議を思い出し、息子はなに過ぎるのだろうかと考えます。

かわいすぎる息子、とか(親バカすぎる両親!)。

ポテトフライで腹が出てきすぎる園児、とか。

お菓子をねだりすぎて、他の言葉を忘れる四歳児、とか。

さて、金曜の午後、息子を抱っこしようとした際に、妻が腰に違和感、強い痛みを感じたそうです。

抱っこは諦めてもらい、家に帰り、動くたびに痛いことを確認しました。

我が家ではベッドを壁にぴたりとつけて、壁側に息子が、隣りに妻が寝ているのですが、どうしても息子の方に身体を傾けて寝るのが辛い、本当は息子に背を向ける体制が楽だけど、それは寂しい、でも仰向けに寝ているのも痛くてつらい、という話をしていました。

翌朝、病院で診察してもらったところ、ぎっくり腰ではないようですが、椎間板の様子がおかしいと言う話だったそうです

ぎっくり腰は、妻の両親、勤め先の上司、などなど身近な人がやっており、その辛さも聞いていたので、嫌だ嫌だと言っていたので、ぎっくり腰ではない、という診察はうれしかったようです。

一方で、最近のぎっくり腰は、絶対安静ではなく痛くない範囲で体を動かした方がいいようなのですが、妻は安静にしている方が治りが早い、と言われたそうです。

まあ、なんと言われたかには関係なく、重たいものを持つのは痛くて無理そうなのですが。

そのため、息子がいくらせがんでも、抱っこしてあげることができなくなりました。

もちろん、土日は私が仕事を休みだったので、私が代わったのですが。

息子も体調が悪い時など、どうしても妻に抱っこしてもらいたがることがあります。

幸運なことに週末は体調も良く、天気が悪かったので家に長くいたこともあり、問題なく過ごすことができました。

また、よくいく遊び場に、息子の好きなおもちゃが増えており、それにはまったことも移動距離を短く、抱っこの機会を減らすことになりました。

いざ、自分が息子の求めに応じて抱っこするとなると、これまでとは格段に熱心に、どうしたら歩いてくれるのか、を考えることになります。

例えば、餌で釣る。

歩いてくれるんだったら、飴をなめててもいいよ、とか。

あるいは、目的地までの道順を伝え(家の近くなので、息子にも理解できる道順だったのですが)どこまでは自分で歩いて、どこからは抱っこするか、出発前に話し合うとか。

妻の腰は土日の二日間では完治しなかったようで(医者からも1間は様子を見ながら安静にしているように言われていますし)今週は、まだまだ抱っこを巡る攻防が続きそうです。

なお、良いニュースなのか、悪いニュースなのか、判断に困るところではありますが、1か月前から体重が1キロ増え18キロに到達したことが日曜の夜に判明しています。

歩くのはダイエットにいいのですけどね。息子はまだダイエットという言葉に馴染みがないのが残念です。

粘土遊び

春休みに入っても、発達支援教室に行きたくない、と朝起きるなり、息子がしくしくと泣いている毎日です。

平日は朝の時間しか息子と触れ合わない(夜、仕事が終わって家に帰ると寝ている)のですが、その時間はなるべく話しかけるようにしています。

例えば、前日、公園で拾ったものを見せてくれると、それが公園で拾ったものだと妻から聞いて知っていても、どこで見つけたの?と聞いています。

私は、子供になるべく対話をさせたいと思って話しかけています。

正解が返ってくることを期待して、あるいは何かを知りたくて話しかけているわけではありません。

ところが、この質問、妻には不評です。

昨日(妻が私に)説明したのに、聞いてなかったの?と言うわけです。

聞いている、知っているけど、息子に質問している、がどうして理解されないのかな、ともう何度も繰り返しているので思っています。

さて、幼稚園でも、発達支援教室でも、工作の一環で粘土を使うことがあるのですが、息子はこの粘土遊びが大好きなんだ、と聞いていました。

聞いてはいたものの、家に粘土はなく、遊んでいる現場を見たことがなかったので、ふーん、という程度の関心しかありませんでした。

私自身は、粘土に対して、何にもいい思い出がありません。

そもそも図工の時間がどれもこれも嫌いで、絵を描くことも、それをするくらいなら風呂掃除を頑張るぜ、という程度にきらいです。

3月に入り、誕生日プレゼントの一つとして粘土を買ってあげたこと、幼稚園で使っている粘土が、年度で一度買い直すものらしく、今年度使っていたものを持ち帰ってきたことから、週末に家で、粘土で遊ぶ息子の姿を図らずも目撃することとなりました。

まず、息子が粘土で何をしているか、ですが、食品を作っています。

パンとか、お餅とか。ラーメンと餃子も多いのですが、これは買ってきた粘土がラーメンを作ろう!というセットで、ラーメンやら餃子の型があるためです。

何故食品に偏るのかは分かりません。

お砂場で作るものと言えば、道路と線路と山とトンネルで、食品なんてこれまで一度も見たことがありません。なのに粘土は食品。。。

まあ、幼稚園で作るのが食品なのかもしれず、そう刷り込まれているだけかもしれません。

ついでに、作る食品は、食事の好みとは全然リンクしていません。

相変わらず、好きな食べ物第一位は断トツでポテトフライなのですが、ポテトフライを作る、とはならないようです。

一方で粘土でよく作っているのはパンです。

パンはあまり好きではないのですが(ハチミツをかけて甘くしてあれば喜んで食べますが)。

次に、粘土で作ろうとするモノはやたらと小さいです。

大人の中指の爪くらいの大きさ。

砂場でも粘土遊びでも同じなのですが、誰かと一緒(誰か、は大人限定ですが)が好きなことは変わりません。

何を作ってほしい、という注文も多いですが、注文通りの物を作ったとしても、それを気に入る保証はなく、注文外の物を作って気に入ってもらえることもあります。何より、注文を受けた直後に、こちらがそれを作っていると、何を作っているんだい?(本当にこの口調なんですよねー、腹立つ)と聞いてくることすらあります。

で、大人が大きな塊で何かを作ろうとすると、とっても嫌がります。

粘土にはヘラがついていたりするじゃないですか?

あれって、ある程度の大きさがないと使いずらいんですよね、なのに息子は一生懸命、ヘラでパンに模様をつける、という細かい作業をしています。

最後に、粘土というのは片づけにとっても時間がかかるものなんですよね。

手も汚れますし、破片があちらこちらに飛び散ります(広げた新聞紙の上で遊んでいてもなかなか収まらないです)。

さらに、特に安い粘土は、あっという間に硬くなるので、ビニール袋にしまいこんでおく、ということも必要です。

時間がかかりますし、めんどくさいものなわけです。

ところが、息子にはこれが理解できないので、あと10分で出発するけど、それまで遊んでいていいよ、というと、粘土をやりたい!とか言い出したります。

まあ、遊んでいる最中には、よっぽど強くどこかに打ち付けたりでもしない限り、泣き出したり、嫌な気分になったりすることはありません。

他の子供に何かされても、きょとんとしていることがあっても、怒ったり泣いたりしないのです。

そのため、しくしく泣かれるよりは、親がメンドクサイ思いをするくらいで済めば、遊ばせてあげたいな、と思うんですよね。

片づけるたびに、塊に戻ってしまい、カタチを留めない粘土。

そんな粘土での遊びも息子の中に、確かな、楽しかった記憶として残ってくれるのでしょうか。

二度目の雪

先日行ったスキー場への旅行で、雪遊びがとても楽しそうだったので、シーズンが終わる前にもう一度、行ってきました。

今回は日帰りです。

日帰りですし、私たち両親が滑ることは諦めたので(泣く泣くあきらめたのではなく、息子と遊んでいる方が楽しい、と前回気づきました)、荷物

が少なくてすみました。

ただ、今回は子供の遊び場(キッズパーク)が有料だったことから旅費を含めて1日にしてはえらく高価なものについたような気がしています。

雪質が悪いのは、滑る人にとっても大問題なのですが、息子にとっても、雪を集めて投げられない、という意味で悪条件でした。

そりが上手く滑らずに止まってしまったりもしましたし。

ただ、そうはいっても白銀の世界、勝手知ったる両親だけと遊べる時間は楽しいらしく、午前2時間、お菓子で釣って休憩、その後1時間半、目い

っぱい遊んで、最後は帰りたくないと駄々をこねて、お昼を食べて帰ってきました。

プラスチックでできた、雪玉を作る道具(100均で売っていそうな)は、前回、多くの子供がもっていてうらやましそうだったのですが、今回は無

料で貸し出してくれていたので、ずっと握っていました。

タイヤ(ゴムチューブ)で滑るコースがあったのですが、その時も手放したくなかったと抗議しています(上で大人が預かっていることを条件に手

放してくれましたが)。

ちなみに、この道具、息子が遊んでいたからなのかもしれませんが、後から来た他の子供にも大人気。

のみならず、キッズパークに遊びに来ていた外国人旅行者の方も、興味津々といった様子でした(実際に手に取って楽しそうに遊んでいました)。

息子は(妻も)帰りの車内ではぐっすり眠り、遊び疲れるまで満足してくれたことはうれしかったです。

この日、息子が自分の感情について説明してくれたことが2回あったので、それを書き残しておきたいと思います。

一つは、ドライブの最中、発達支援教室に行きたくない、という話をしていて、どうして行きたくないの?と聞いたときのことです。

発達支援教室では、朝の課題の後、大きな教室に移動して、他のクラスの子供も一緒に体操をするのですが、これが嫌とのこと。

さらに、身体を動かすことが嫌いなわけではなく、最近みんなでやる体操も少しずつ動き方を覚えてきたのに何が嫌なのかを聞いてみました。

すると、子供が一杯いていやだ、とのこと。

大人数で集まるのは昔から苦手ではありますが、自分で言葉にして説明できるようになったこと、そんな成長がうれしい一コマでした。

そしてもう一つは、雪山から帰ってきて、晩御飯を外食にしようかと話していた時のことです。

隣り駅まで電車で行こうとしたのですが、どうしても、車で行きたいと言い張るのです。

今日は一杯ドライブしたじゃん、なんで車がいいの、と聞くと、、

飴をなめたいから、という答え。

私は意味が分からず、飴なら電車で舐めてもいいんじゃない?、と言いました。

しかし、息子が舐めたかったのは棒付きの飴(チュッパチャップスみたいな)で、妻が電車では、棒付きの飴を許可していないとのこと。

まあ、のどに刺さったら危ないし、汚い手で他人様に触ってしまうかもしれませんし、それはそうかな、と。

ただ、息子がここまできっちり説明できるなんて、と成長がを実感しました。

息子が来年まで、雪山の楽しさを覚えているかどうか分かりません。

来年は行ってみたら、寒さにめげてしまうのかもしれません。

成長すると言うことは、好みが変わる、ということでもあります。

それでも今年、雪山で遊べたことが、楽しかった思い出の一部なってくれたらうれしいなあと思っています。

月曜日なんて永遠に来てほしくない

1月から発達支援教室に通い始めた息子。

初めはお見送りの母親と別れると号泣、場所の移動で号泣、帰り際にはその日一番の笑顔を見せつけていたのですが、2週間ほどで慣れ、嫌がることもなく通うことができるようになりました。

ところが、2月の終わりに私が連休を取った後から、徐々に教室に行きたくない気持ちが増してきています。

初めは、朝起きると、行きたくないなー、とつぶやく程度だったのですが、前日の夜に泣き出すこともあります。

暴れる、ではなく、しくしくと泣き、切々と生きたくない気持ちを吐露しています。

 

これに伴って、夜泣きも増えてきました。

こちらは、切々の欠片もない、叫び、です。

い・や・だーーー!!という叫び。

 

教室に行った後は比較的落ち着いて、今まで通り過ごしているようですが、場所を移動する際に抵抗するそぶりを見せるなど、まったく元通り、というわけでもないようです。

ただ、お昼のお弁当は毎日、しっかりと食べきって帰ってきます。そこらへんがかわいいものなんですが。

 

今までできていたことが急にできなくなってしまう理由の一つとして体調が悪い、ということが挙げられます。

自分で歩けるようになったのに、どこへ行くにも抱っこをせがむとか、父親とお風呂に入るのを先週は許容できたのに今週はできないとか

体調が悪い時は、食欲も減るので、比較的分かりやすいのですが、分かったからと言って、できることはあまりない、ということでもあります。

 

今回は体調が悪いわけではなく、また教室内で何か問題が合ったり、嫌なことがあったわけではなさそうです(本人も、教室の先生もそういっています)。

教室の先生によれば、教室に通い始めてから、徐々に蓄積されてきたストレスがここに来て一気に爆発しているのではないか、ということです。

分からなくもない説明ではありますが、具体的な対処の方法が分からないという意味では、評論に過ぎないように思います。

 

ところで、前日の夜に泣き出すこともあるのですが、これって、その日教室に行って、明日も教室がある日、だけでした。

具体的には、土日と平日の水曜が休みなので、月曜の夜か、木曜の夜だけ、泣くことがあった、ということです。

火曜、金曜、土曜は、明日行きたくないと言われても、明日は休みだよ、と応えればおさまります。

日曜と水曜は、その日教室に行っていないので、明日は行くんだ、と思いだすことがないようでした。

これまでは。

 

その日曜の夜に、明日は行きたくない、と寝る前に訴え始めたのです。

私は平日の夜、息子が眠ってしまってから帰宅するので、泣きながら、教室に行きたくないと訴える息子をじかに見るのは初めてでした。

本当にかわいそうだな、と思います。

かわいそうだけど、慣れるしかないんだよなと思います。

それに加えて、日曜の夜に、明日は教室に行く日だ、と認識したことがすごいと思いました。

 

息子にはまだ曜日の感覚がありません。

恐らく、その日と次の日と遠い未来、くらいの区分けしかしていません。

今日は何をする日か、明日は何が起こる日か、を聞かれることは良くあります。

今日は公園で遊べるの?とか、明日はパパ、おうちにいるの?とか。

誕生日の少し前には、もうすぐ4歳になるんだよーと言っていたので明日ではない将来、という認識もあるのでしょう。

 

その息子が、私が二日間家にいて遊んでいてから、明日は教室に通う日だと思った、ことがすごいなあと思うのです。

先のことが考えられるようになると、不安が増すのは仕方のないこと、成長に伴う痛みなのだ、と思ってはいても、かわいそうだな、という気持ちが消えるわけではないのですが。

せめて将来、日曜の夜が憂鬱ではない生活を送ってくれることを願ってやみません。