投げるときにはなるべく上から

気づけば、肩が痛いです。

何もしていなくても痛い。

そして、常に痛いわけではなく、何ともなかったり、痛みが和らいだりすることもあります。

つまり波があるってことです。

 

最近、土日に息子を抱きかかえている疲労が週明けに痛みとなって現れることがあります。

妻はその日の夜から痛くなるようですが。

 

そう、疲労の原因は、4歳になってもまだ抱っこをせがむ息子にあると思われます。

特に私の場合は肩車をせがまれることが多く、そういえば、週末は何度か肩車をしました。

 

私はあまり肩車が好きではありません。

後で肩が痛くなる、のはその場では思い出しませんし、肩車自体は抱っこしているよりよっぽど楽なのでその意味では身体的に辛いわけではありません。

私が肩車を好きではない理由は、一つには息子の表情が見えないからです。

だからつまらない。

息子もせがむくらいですから楽しいのでしょうし、横から見ている妻も息子がにこにこしている様子を伝えてくれます

それが自分には見えない。

そしてもう一つは、肩車された息子の行動がひどいのです。

 

昔、上から唾を垂らされたことがあります。

さすがに何度か怒られて最近ではしなくなりましたが。

代わりに、帽子をかぶっていると、まず例外なく、取り上げて放り投げます。

ついでに、頭を撫でてくれているようなのですが、力加減がおかしいので、髪の毛が絡まって痛いのです。

 

この、モノを投げる、というのは他の場面でもよくするのですが、何度話しても直りません。

おもちゃを渡すとき、読んでほしい絵本を渡すとき、手渡すことができないのです。

 

放り投げたものは、自分で取らせ、もう一度手渡しさせて、それを褒める、の繰り返しです。

良く考えてみると、水筒なんかはちゃんと渡せるんですよね。

投げるものと渡すもの、どこに違いがあるのだかさっぱりわかりません。

 

なお、週末は、展望台にはさっさと飽きることが分かりました。

まあ、外の景色を見ても別に楽しくない、のは私も同感なのでいいのですが。

ついでに、大道芸は意外なことに楽しくみられることが分かりました。

以前は人ごみに近づく、だけで嫌がっていたのに、ずいぶんと変わったものだと思います。

 

いつか、人にものを渡すときにはほうり投げるのではなく、手渡しできるようになるのでしょう。

私はそんないつかが楽しみで仕方ありません。

口は災いのもと

息子の、最近目立ってきた口癖と言えば、

・きらーい

<使用例>パパなんてきらーい

があります。

 

叱られたときに、言い返すのに使っています。

父親に対しては、誕生日にお菓子あげないからね!も追加で口にします。

母親に対しても、使うのですが(ママなんてキラーい!)、かなり手痛く反撃されます。

そして、泣いて終わるケースが大半です。

 

さて、母親と離れるのが何より嫌な息子ですが、離れた瞬間にケロッとしていることが良くあります。

休日に外でランチして、母親がそのまま美容室に行くので、私と息子が母親とは反対方向の電車に乗った時のことです。

一緒に行きたい、と言って聞かない息子を私が抱っこし、こちらの電車が先に来たので、乗ったのですが、誘拐犯に連れ去れるかのように、火のついたように、泣き叫びました。

ところが、電車のドアが閉まった途端に泣き止み、何事もなかったかのように、私に向かって、帰ったら何をして遊ぼうか、と話しかけてくるのです。

私はほっとして、返事しましたが、隣にいた老婦人のびっくりした顔はなかなか忘れられません。

 

先日も朝から、母親にきらいと言って、反撃され、息子が泣いていました。

妻が着替えに寝室に入り、ドアを閉めた瞬間、息子の鳴き声がピタッと病んだのには笑ってしまいました。

真顔でどうしようか悩んでいるようだったので、ごめんなさいって言ってきたら、と横から口を出すと、寝室の扉を開けて、また泣き出してから謝っていました。

 

以前から変わらないもう一つの口癖は、なんか頂戴、です。

お菓子をねだるときに使います。

 

気づけば、どこかへ行くたびに、そこに行くからお菓子頂戴、と言うようになっています。

幼稚園など、家の外では言いませんし、私に対しても言いません。

それは何もあげない(持っていない)からです。

 

妻がそこでお菓子を渡すのは、目的地に向かって歩かせるためです。

「歩かせる」ためなんです。

お菓子がなければ、抱っこして、と言うので。

特に、腰を悪くしたところから、お菓子で釣ることを初め、抜け出せなくなってきています。

 

今年、発達支援教室でやっている、親子の対話の仕方教室に妻が通うことになりました。

もうすぐ始まるのですが、これは一般のしつけ教室ではなく、自閉症の子供を持つ親向けのプログラムで、参加費は自治体の補助金がでます。

人気がある、というと変ですが、申し込めば誰でも受けられるものではなく、どの子ども(親)にとって必要性が高いか、を判断した上で、参加が認められるそうで、妻が通えるようになったことはいいことなのか、少し評価に迷うところではあります。

 

いずれにせよ、妻が聞いてきたことを元に、私の息子に対する態度も何らか変える必要があるのでしょう。

何を聞いてくるのか、教えてもらえるのか、夫婦そろって少し楽しみにしています。

自閉症に関する本(書名なし)

先日、発達障害の外来に妻と息子行った際、先生から、何冊か本を紹介されました。
まずは図書館で借りて読んでみてほしい、その中から少なくとも一冊は購入して手元において、何度か読み返してほしい、と先生から言われたそうで、お財布にやさしい提案に感謝しつつ、図書館で借りられるものから順番に借りています。
まず妻が読んで、もう眠たくてしょうがない、と言われて私のもとへと回ってきています。
確かに読みずらいですが、以前に何冊か読んでいる本やインターネットで調べている事柄と大きく異なることが書いてあるわけではないのだな、とも思っています。

さて、私たちにとっては都合のいいタイミングで、NHK発達障害を取り上げてくれています。
プロジェクトのホームページも立ち上がっています。
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/

以下は、こちらの取材に同行された記者の方の発達障害に関する感想の記事です。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/30/talk-with-developmental-disability-p
erson_n_16876110.html?utm_hp_ref=japan


世の中が、発達障害者に対してより生きやすいような配慮をしてくれるようになると大変うれしいと思います。
私自身も、一人の、発達障害に対して知識の乏しい人間として、発達障害に対する知識を深めることが有意義であると思っています。
それは、発達障害に限らない話で、一人でも、少しでも、生きずらいが減っていってほしいです。

その上で、発達障害を持つ子供の親としては、もう1つ、知りたい情報があります。
そして、この情報が極端に不足しているように思われるのです。

世の中が支え合いによって営まれているのは一面の事実です。
しかし、奪いあいによって営まれているのもまた一面の事実です。
親としては、支え合いの輪の中で息子の人生がよりよいものとなることを望むことに加え、奪いあいの輪の中で、自分を守る方法を身に着けてくれることを願っています。もっと言えば、勝ち抜ける方法を身に着けてくれることを願っています。
この自分を守り、勝ち抜くために自閉症とどう向き合ったらいいのか、という情報が不足しているように思えるのです。

多くの本では、学校の勉強についていけない、仕事が長続きしない、等々、周囲の理解と助けによって改善できることが多いことを教えてくれています
でも、悪意のある相手をどうやって避けるか、も重要ではないかと思うのです。

この点、自閉症でない人にとっての悪意のある人間の避け方や、詐欺から身を守る方法、というのも確立していない、と思われるかもしれません。
確立しているかどうかは定かではありませんが、ノウハウや人生訓のようなものはたくさん存在します。
これらがどの程度、自閉症の人にも有効で、どの程度有効ではない(別の処方箋をかんがえなければいけない)のか。

これから読み進める本の中で、これへの回答があるのかないのか、本の感想と合わせて、また書いてみたいと思っています。

病院へ(1週間ぶり3回目)

引き続きになりますが、息子の行った病院の話です。
その前に、週末に遊園地と公園に行きました。

遊園地は、動物園と遊園地が併設された場所です。
動物園の方は、特にどの動物に興味があるわけでもなく、歩く代わりにお菓子をせしめることに一生懸命な様子でした。
小動物(ヒヨコなど)とのふれあいは楽しそうではありましたが、私が手のひらに載せているのを横から触るのが楽しいようです。
また、餌やりは、どれもやりたがりました。
動物が寄ってきたり、食べたり、反応するのが楽しいのかもしれません。

動物園を巡り、昼食を食べた後、遊園地ゾーンに行ってみました。
自閉症の子供は聴覚過敏なことが多く、息子も基本的には大きな音が苦手です。
日常では、バイクの音を怖がります。
イベントでのスピーカーを使った大音量も好きではありません。

なんですが、私は本当に息子が聴覚過敏なのかどうか、自信がありません。
最近では少し熱が落ちてきましたが、建設機械(シャベルカーやブルドーザー)が好きで、動いているところを見るのも好きです。
工事現場って音量が少ないはずはないのですが、息子が気にしている様子はありません。
あるいは、ショッピングセンターのフードコート、こちらも騒がしさの極致見たいな場所だと私は思っているのですが、息子が嫌がったことはありません。
音によって、好き嫌いあるいは得意不得意があるのかもしれません。
聴覚過敏ではないと断言するつもりはなく、よく分からないなあ、と思っているところです。

対処療法ではありますが、聴覚過敏の対策として耳栓やイヤーマフがあります。
耳栓については試してみたのですが、息子の耳の穴が小さく、すぐに抜けてしまうことと、息子があまり感覚的に好きではないようで、使っていません。
私自身、耳栓が苦手です。歯と歯が口の中で触れ合う音が直接、脳に響くように聞こえるのです。
イヤーマフ(ヘッドフォンみたいなもの)は妻が気に入ったデザインがないことと、息子が好きだとは思えないことから、試していません。
たまたま、動物園で知的障害者らしき一団とすれ違いましたが、多くの方がイヤーマフをされていて参考になりました。

話がそれましたが、遊園地は音量が大きいため、大丈夫かなと心配していたのですが、全くなにごともありませんでした。
メリーゴーランドやコーヒーカップがありまして、は絵本で良く出てくるため、実物を見せたかったのですが、近くで見ていても平気でした(決して乗りたいとは言いませんでしたが)。
観覧車は遠くから見かけて、ずっと乗りたい乗りたいと言いながら歩いていたのですが、実際に乗ってみるとそれほど楽しくなかったようで、頂上付近では怖いと言っていました。
高いところが苦手なわけではなく、モノレールのような乗り物は楽しんでいました。

観覧車もそうですし、帰りにびっくりドンキーによって夕食を食べよう、という話になったときもそうなのですが、気になる目標に向かって意識が一直線になります。
ひたすら連呼しています。
これが息子の特性によるものなのか、個性によるものなのか、いずれにしても今はかわいいのですが。
ずっとそうだとすると、目的地の途中にある楽しいことが一切、目に入らなくなってしまうのではないか、それはもったいないことだなあ、と思ったりします。

翌日は近所の公園に遊びに行きました。
最近はまっているかくれんぼしつつも、見つかった人が場所を移動しながら隠れ直してまた探す、という遊びをしました。
公園の周辺は樹木が植えられており、蚊が増えてきていて、虫よけリングを新しく封切ってつけたのにどこかに落としてきたりしました。

という週末を過ごした後の月曜日、朝起きたら、息子の顔から胸、腰回りまで、まさに全身、ぽつぽつと湿疹ができています。
息子はかゆいと言いますが、かかせると悪化することは明らかで、なだめながら幼稚園を休ませ、皮膚科に連れて行きました。
皮膚科の先生も驚いたようで、薬を処方して、翌日も様子を見せにきてほしいと言われ、連日、通うことになりました。
一つだけ幸いなことは、見た目のひどさほどには、息子がかゆみを感じていないらしいことです。

原因は恐らく毛虫によるものだろうとのこと。
私、ずっと毛虫が原因で湿疹がでるのは、毛虫に触れた場合だと思っていたのですが、空中に浮遊している場合もあるし、かぶれた箇所を触った手で他の場所に触ると移ることがあるそうです。
湿疹も触れてすぐに出るのではなく、時間をおいてから出てくることが多いようです。
ということは、一番怪しいのは、前日の公園の茂み、次が前々日の動物園でしょうか。
いずれにせよ、しばらくは茂みに近づかない様言われたようで、息子の大好きなかくれんぼ遊びは一休みすることになりそうです。

子供は身体が弱く、病院に通う回数も多くなりがちですが、それにしてもここ最近は立て続けだなと思っています。
病院の待ち時間は息子にとって辛いようですが、それをなだめ、すかして押さえつける妻にはさらに辛い時間のようです。
家の近くに面倒見の良く、通いやすい病院が多いことは感謝しているのですが、待ち時間の改善がされると更にいいのにな、と思います。

政治がらみで一躍有名になった病院へ

週末は緊急外来で腹痛の診断をしてもらった息子ですが(幸いなことに腹痛は完全に収まったようで)、平日に幼稚園を休んで、自閉症の診療のため、病院に行ってきました。

息子の場合、自閉症の可能性を初めに指摘してくれたのが幼稚園です。
次に幼稚園の勧めで、自治体の発達支援教室に相談に行き、疑いが濃厚ということで、そのまま教室に通うことになりました。
今回、その教室から、継続的に医者に診てもらった方がいい、というアドバイスをいただき、病院に行くことになったのです。

私の周りの病院事情による可能性もありますが、自閉症の診察はざっくり3ヶ月以上前の予約が必要です。
今回の病院はたまたま空きがあったのか、1か月ほどで診察をうけることができました。

ところでこの病院、数年前に政治がらみで非常に有名になりました。
病院側が悪いことをした、というよりも、受け取った政治家側の対応がよく分からなくて問題になった事案です(もちろん、病院側もそれなりの意図があったので関与したのでしょうし、真っ白ではないと思いますが)。
まあ、診察してもらう先生はその病院に勤めているだけなので、まあいっか、くらいの気持ちで行きました。

病院では息子が遊んでいる傍らで先生と妻が面談を行いました。
正味1時間半ほどです。
いろいろと話は出たのですが、一番大きな話は、息子の自閉症が疑いがあるではなく、間違いなく自閉症、という診断を受けたことでしょう。
検査結果を点数化して、全40点中10点以上だと自閉症と診断されるところ、30点近くありました。
これにはショックを受けるより前に、思わず笑っちゃったよ、と妻が言っていました。

病院の雰囲気も良く、先生も話しやすかったようで、妻は満足しており息子も嫌がっていないようなので、私も安心しました。
医者や病院との相性も重要であることから、複数の病院をまずは訪ねてみるのが良い、という教室からのアドバイスに従い、もう1つ別の病院を予約しているのですが、もうそっちは行かなくてもいいかも、という話をしています。

ところで、自閉症で医者にかかる必要があるのは何故だろうか、という疑問は消えずに私の中にあります。
どころか、今回の病院往訪を経て、ますます強まっています。

こと自閉症に関して、病院は治療を行う場所ではないように思えます。
息子が就学前は、という限定付きです。
発育支援については発達支援教室が毎週行ってくれていますし、こまごまとした相談もそちらが便利です。
教室は就学までの限定的なものなので、そこまでは教室で十分、ということです。


就学後のことについては現時点で見通しがたたないため、相談できる外部の専門家は医者だけになるのかもしれません。
その際に、小さいころから息子に対する理解を深めてくれた先生がいてくれる方が心強く安心であることは間違いありません。

ただ、相談だけではなく、実際に何かをしてくれるのか、は今のところよく分からないのです。

少し話がずれますが、今回の診察の中では、息子には他の子供とは違うところがあり、それを理解してあげてほしいという話があったそうです。
特に息子は不安が強い傾向が見てとれ、なるべく不安を解消できるような方法を探してほしい、という話もありました。

もちろん、不安に思っている息子をすぐに慣れるだろうと思って、一人で立ち尽くさせるようなことをするつもりはありません。
不安が解消されるような方法を探すべき、ということも、理解できます。
具体的には、先の見通しが立たないことが息子の不安をあおるようなので、一日の見通しを示してあげよう、といったことです。

ところで、私にとって不安を解消すると言うことは、不安の生じる場面を避けましょう、ということではありません。
その場で起こる最悪の事態を想定して、その結果を受け入れる、ということなんです。
怖い部長と二人で話をしなければならないとします。会社の会議室での話であれば、殺されることはないでしょうし、どころか暴力を振るわれることもまずないでしょ
う。仮に激高させても会社をクビになる可能性は低いですし、評価が下がるくらいの事でしょう。
低い評価の結果も生活が維持できなくなる可能性は低いですし、最悪転職することもできます。
ということで、まあ評価が下がらないように頑張ろう、と思うわけです。

なんで突然、私のことを書き始めたのかというと、私は自分自身が自閉症なのではないかと疑っております。もう大人ですし、困ってもいないので、ほおっておりますが。
一言でいうと、他人に共感しずらいのです。
そんな私がしている方法が息子にも当てはまるのではないかと思いがちなんです。

これは不安の解消に限らないのですが。
そして、この話を妻とすると、例外なくこじれます。
妻の言い分は、息子はまだ4歳なんだから、そんな話をしてもまだ理解できないだろう、というものです。
私もそれはそれで理解できます。ただ、今すぐ息子にそれを理解させるのではなく、将来的にどのような解決を目指すのか、を共有し、そこに向けて教育していくことが必要だろうと思うがために、この段階でその話をしているわけです。

自閉症の子供に対して、自分のやり方を押し付けるのは良くない、と言われます。
どうしてこんなこともできないのだ(自分はできるのに)ではなく、その子なりの解決に導くことが必要、という言われ方です。
本人にとって受け入れられない方法、その特性から効果的ではない方法があり、他の子供と比較することが、不効率な方法になりがちである、という話は理解できます。
一方で、その子なりの解決というのは、後から判明するような事柄であって、自閉症の子供向けの対応のテンプレートが用意されている、と感じることも多々あります。
いきなり手さぐりでオーダーメイドを作り出すことよりも、まずはテンプレートに沿ってやってみて徐々にカスタマイズしよう、という方法はよく理解できます。
ただ、そのテンプレートは、正直なんだっていいんじゃないか?という気がすることも確かです。
何故なら、自閉症の症状はその子供によって異なる、ことが前提だからです。

やっぱり私にとって、上手く呑み込めていないのはこの点なんでしょうね。

妻の誕生日の後、初めての週末だったため、お祝いをしたいという話を家族でしていました。
息子も乗り気で、金曜の夜には、明日はママの行きたいところに行こうね、と話をしていました。
ところが、私たち夫婦で行きたい場所を決めるのに手間取り、土曜の朝に息子に提案したところ、息子が全拒否。近くの公園に遊びに行きたいと強く主張します。
他にも歯磨きを嫌がったり、グダグダと過ごしているうちに、妻のやる気(外出する気力)が萎え、結局は家の近くの公園に遊びに行きました。

公園では、これまで本来の用途では使えなかった遊具で遊べるようになりました。
滑車から釣り下がったロープにつかまり、移動する遊具です。
今までは、ロープを持って、一緒に走る、という遊び方だったのですが、何度か抱えたまま息子を移動させ(走り)、その後は手を放しても遊べるようになりました。
ひどく気に入ってくれたようで、大変な思いをしたかいがありました。

これなどは、できるのに手を出さない、という事例で、手助けが適切にできれば、息子のできることが広がる、ことを改めて実感しました。
息子の特性とは関係なく、子供の個性によるもの、ということです。

昼食の後、昼寝をしてから、息子も食べたがっていたケーキを買いに、数駅離れた場所まで買いに行きました。
そのケーキ屋さん、駅からも遠く、20分ほどですかね、歩いたのですが、ケーキ屋さんで売っていた飴を渡すことで、機嫌良く過ごせました。
状況が一変したのは、家に帰ってきてからです。
手洗い・うがいをしていると、突然、涙を流して、お腹が痛いいたいと訴えるのです。
普段、見たこともない様子にびっくりしました。

お腹を強打していないことは、ずっと一緒にいたので分かります。少なくとも、今日一日はありませんでした。
次に、食べ物に当たった可能性も、息子だけが食べたものはないことから否定されます。
もっと複雑な原因であれば、病院に行っても検査がされず様子を見るだけだと思われ、食あたり程度であればそのうち治まるだろうとも思いました。つまり、動かすことが返ってよくないかもしれないとは考えました。
しかし、お腹に手を当てたままぐったりしている息子を見るに見かねて、病院に連れて行きました。
もう一つ、息子が病院に行きたいと強く主張したことも、病院に行った理由です。

普段、病院は息子にとって全く楽しい場所ではありません。
小児科には少しおもちゃが置いてありますが、家で遊べるなら家を選ぶのが息子です。
まして、これから行く病院は息子が一度も行ったことのない病院だ、ということも説明しました(かかりつけは、その時間にはあいていなかったので)。初めての場所に行くことは嫌がられる可能性が高いからです。
幼稚園の先生や誰からから痛いときには病院へ、という話を聞いたのか、どのような理由だか分かりませんが、息子はそれでも病院に行きたい、と言いました。

土曜日の夜にもかかわらず、幸いなことに、救急外来がすぐ近くに見つかりました(先ほどケーキを買いに行った場所のすぐ近くだったため、同じ場所に舞い戻ることになりましたが)。
病院への移動中は、泣きそうな顔をして黙っている時間もあれば、電車を見て(好きな色の電車がきたので)はしゃいだり、どうもずっと痛いわけではなく、断続的に波のある痛さのようではありました。

病院では、案の定というか、予想通りというか、腸蠕動で痛みのでる子供が一定数いるのでそれではないか、様子を見て、痛みが引かないあるいは強まるようであれば、精密検査をしましょう、ということになりました。
待合室に戻ってお会計を待つ間、置いてあったおもちゃを、効果音(ごぉー、とか)つけて遊んでましたからね、まあ、ホッとしました。

私たちがちょうど帰ろうとした時、入れ違いで2歳になったかどうかくらいの男の子がやってきました。
騒ぐ男の子を両親が必死に落ち着かせていました。
待合室は空いており、その場にいたのは、診察の終わって会計を待つ私たちだけだったので、子供に対してはやりたいようにしてくれていいんだよ、と思いましたし、ご両親に対しては、大事ないといいですね、と心の中で思いました。

土曜日の深夜に緊急外来に来るのは、相当な何かがあったのだろうと思います。
自分達もそうでしたが、診察が終わらないと気が気ではないでしょう。
ご両親にとって、騒ぐ子供をあやすことが、不安から目をそらす一助となるのかもしれません。
いずれにしても、ご両親もお子さんも、そんな目に囲まれていることが伝わればいいのに、と思いました。

発達支援教室からの就学

幼稚園に馴染めない息子は今年(2017年)の1月から3月まで幼稚園をお休みし、発達支援教室に通っていました。

4月からは、週4日は幼稚園、残りの1日を支援教室に通っています。

その支援教室では、朝行くと、準備をしてから、それぞれの子供に割り当てられた課題(パズルとか塗り絵とか)をし、一日の予定を説明してもらった後、別のクラスの子供たちと大きな教室(学校でいうところの体育館のような場所)で身体を使って遊びます。

これは、以前、会社が休みの際に(今年2月です)見学に行った様子を書いたことがあります。

大きな教室での遊びの後、各クラスに分かれて今日の予定(工作だったり、お散歩だったり)を行っていきます。

息子はこの大きな教室での遊びが好きではなく、初めのうちはそれこそ号泣して抵抗していました。

私が見学に行った際には、場所の移動こそすんなりと行い、身体を動かしているという意味では遊んでいるものの、表情はなく、楽しそうとは程遠い状況でした。

息子は身体を動かすこと自体は嫌いではありません。

家などの屋内で遊んでいることも好きですが、外を走りまわることもあります。

息子が大教室を嫌がる理由は、従って身体を動かすことではなく、大教室にたくさんの人間(子供たちも先生方も)がいるから、なんだそうです。

というか、息子が自分でそう言っています。

それから、ターミナル駅など、人が多いところでは、息子が嫌がることが分かってきました。

ただ、ゴールデンウィークの最中、動物園に入るための混雑と行列が出来ていたのですが、これは嫌がらないんですよね。

音の問題なのかもしれません。

この辺は、息子の苦手なものも変わっていきますし、突き詰めてもしょうがないのかなと思っています。

4月から週に1日になった発達支援教室は、何故か幼稚園以上に行きたくないとごねます。

行ってしまえば楽しく過ごしているようですし、帰り際にはもっと遊んでいきたいと言っているので、何が嫌なのかよく分かりません。

その発達支援教室から、息子がこれまで見せたことのないような笑顔を見せた、という報告がありました。

その日、いくつかある発達支援教室の別のクラスは全てお休みで、息子のクラスだけで大きな教室を使うことになりました。

息子の笑顔がはじけたのは、その話を聞いたとき、だったそうです。

大きな教室って別のクラスの子供がいたところで、人口密度がそれほど高いわけではありません。

というか、息子のクラスだけだとすかすかして不安になってしまいそうなくらいです。

それでも喜ぶ、のは普段がどれほど嫌なのかの裏返しかなと思うと、やっぱり息子とはいえ、他人の痛みを共有するのは大変だなと思います。

さて、発達教室がらみでもう一つ、保護者向けの就学説明会、が行われました。

メインの対象は年長の子供を持つ親ですが、息子のような年中の親も聞いておくべき、と言われて妻が参加してきました。

一つ、妻がとても驚いていたことがあります。

自閉症について特別な配慮を学校に求める場合、支援学級という他の子供とは別のクラスに編成される、と思っていたのですが、どうもそれだけではないようです。

具体的には、知的障害の子供と一緒に支援教室で学ぶ方法もあるのですが、その他にも、学校が終わってから自閉症の子供向けの追加授業をしてくれる、あるいは週に1日だけ、自閉症の子供向けの教室で学ぶ方法もあるようです。

あくまでも、わたしの住んでいる地域の話で、市区町村によっては異なるのだろうと思います。

そして、来年になると制度自体が変わっている可能性もなくはありません(このような取組がなされたのはごく最近のことのようだったので)

まずは少し、仕組みが整えられていることに安心しました。

就学というのは先のようでありますが、将来を決定付ける、大きな選択になるかもしれません。

幼稚園までは、通わない子供もいるので、ある意味多様性があります。

これが小学校になるとすべての子供が通います。

大多数の子供と明確に異なるレールに乗るのか、という判断になるように思われるのです。

公立小学校への進学の話なので、親が選択するだけではなく、特別な対応を求めるための審査があります。

受かるか、落ちるか、どちらが喜ばしいのだか分からない審査です。

私たち夫婦は将来の受験を意識した私学への進学は今のところ考えていませんでした。

ですが審査結果によっては、息子にあった私学を探してみることも必要になるかもなと思ったりもしました。